ピンボケだが、バスの窓から撮ったもの
馬場あき子の外国詠1(2007年10月実施)
【オーロラ号】『九花』(2003年刊)135頁~
参加者:K・I、N・I、崎尾廣子、Y・S、T・S、藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
レポーター:K・I まとめ:鹿取未放
◆この一連は、なにげなく詠まれているようにみえて、歴史について、現代や現代の国の関係に
ついて深く思いを凝らしている洞察力のある歌々である。2001年7月の「ロシアの帝都と
黄金の環・吟行の旅九日間」には私も同行したため、一首鑑賞からはみ出して蛇足を加えてい
る部分が多いが、懐かしさの故と思ってお許しいただきたい。
6 金いろの玉葱形の屋根の下聖母眼を伏せてしづけきロシア
(まとめ)
金いろの玉葱形のドームを持つ教会はロシアのいたるところにある。だからこの場を特定する必要もないのであろうが、その厳しく静謐なイメージから、この歌と次の歌【神を讃ふるうたの静かな暗い渕に金色(こんじき)こまやかな裸形をりたり】はヤロスラブリにある聖母女子修道院を詠ったもののように思われる。
しかし、下の句の「聖母眼を伏せてしづけきロシア」で、作者は何をいいたかったのであろう。なぜ聖母は眼を伏せているのだろうか。宗教が禁じられたソ連時代のことを思っているのだろうか。(ボルシェビキは、一説には全国5万以上の教会を閉鎖あるいは破壊したそうである。)迫害された民衆の苦悩だろうか。現代の利潤追求にあけくれ、宗教が民衆のこころから忘れ去られていくことをであろうか。また、なぜロシアはしづかなのだろうか。戦争がないからか。政争がないからか。一党独裁で民衆のさまざまな考えが抑えられているからか。四句め、「て」を入れなければ7音の定形に収まるところをわざわざ「て」を入れているのはここでたゆたいを出し、立ち止まって読者に何かを考えてほいしからであろう。(鹿取)
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