2025年度版 馬場あき子の外国詠16(2009年1月実施)
【ニルギリ】『ゆふがほの家』(2006年刊)83頁~
参加者:K・I、N・I、T・K、T・S、N・T、藤本満須子、
T・H、渡部慧子、鹿取未放
レポーター:T・H 司会とまとめ:鹿取 未放
ネパールのアッパームスタンに「こしひかり」を実らせた
近藤亨翁をたずねてジョムソンに行った。
(この詞書のような2行は、「ニルギリ」の章全般に掛かる。鹿取注)
左側がやや高いようなので7061メートルの北峰だろうか?
130 真夜さめて七千メートルの処女峰の月光を浴ぶむざねと対す
(レポート)
今、馬場先生はムスタンの宿にご就寝中、フト夜中に目が覚められた。窓からは眼前に白雪を被った高い峰が月光を浴びて煌々と輝いているのが目に入った。ニルギリは北峰(7061メートル)と南峰(6839メートル)とがある。そのどちらを眺めているかわからないが、これら両峰はいずれも地元住民の反対があって、いまだ未踏峰である。「むざね」と対す……馬場先生は今、何万年前か、インド大陸がユーラシア大陸にぶつかってヒマラヤができた、その生まれたままの姿のニルギリと対峙しておられる。自分の全存在を賭けて対峙しておられる。そこでは人間の小ささ、有限な人間の命など、もろもろの感慨があったことだろう。ここには悠久の地球の歴史と人間の儚い命との対峙がある。(T・H)
(当日意見)
★インド大陸がユーラシア大陸にぶつかったのは7000万年くらい前だと読んだ記憶があります。最もヒマラヤが今の高さに落ち着いたのは2000万年前~数万年前と諸説があるみたいです。 (鹿取)
(まとめ)
真夜中に目が覚めると月の光に照らし出されたニルギリが見えた。まるで、月の光に呼ばれたような印象を受ける。処女峰であるニルギリが月光を浴ぶるという表現はちらりと乙女の入浴シーンを垣間見せて清潔なエロスを感じさせもするが、比重は煌々と照る満月の光を受けてかがやく神々しさの方にあるのだろう。一人月光に照り輝く処女峰を眺めていると、おそらく自分にだけ山が真実の姿を開示してくれたと思えたのでは無かろうか。〈われ〉は、震撼しながら山の「むざね」とむきあっているのである。ちなみに、「むざね」は広辞苑に、「身実」の意で、まさしくその身、正身、正体とある。(鹿取)
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