かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男『寒気氾濫』の一首鑑賞 309

2024-08-27 10:16:03 | 短歌の鑑賞
  2024年度版 渡辺松男研究37(2016年4月実施)
    【垂直の金】『寒気氾濫』(1997年)124頁~
     参加者:S・I、泉真帆、M・S、鈴木良明、
         曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:泉 真帆 司会と記録:鹿取 未放

309 親戚の皆集まりて撮りしときフラッシュひとつ死を呼ぶごとし

      (レポート)
 親戚がみんな集まって、集合写真をとる場面。一枚の集合写真を撮ると、また誰かが亡くなり、また次の集合写真の場面が来るようだ。(真帆)


     (当日発言)
★これも上手いなあと思います。さっき鈴木さんが言われたように光と影があって人間
 は存在する、これもフラッシュがたかれて、影を失った人が次に死ぬ。年の順に死ぬ
 とは限らないけど誰かが次に死ぬわけですから。(慧子)
★死と生って連続性があるんですね。日常性の中に死があるとそういうことをうたって
 いらっしゃる。親戚が集まるのは死者を悼むそういう場なんですけど。そこに写真と
 いうものを登場させて異質なものを詠んでいる。(S・I)
★この「ひとつ」はどちらに掛かるんですか?フラッシュが「ひとつ」か?「ひとつ」
 の死を呼ぶのか?(真帆)
★両方に掛かるんじゃないですか。フラッシュが「ひとつ」たかれると「ひとつ」の死
 を呼ぶ。私はこの歌を読むと小高賢さんの次の歌を思い出します。〈一族がレンズに
 並ぶ墓石のかたわらに立つ母を囲みて〉『耳の伝説』(1984年)お父さんのお墓
 の傍にお母さんが立って、そのお母さんを囲んで一族が写真を撮っている。墓石には
 お母さんの名前が赤い文字で入っている。そしてこの歌では次の死とは言っていな
 いけど、次にお母さんの死が来ると充分想像させる。わりと似た状況の歌ですが、小
 高さんのはあくまで現実に即してリアル。松男さんのは下の句でぱっと次元が移動す
 る感じですね。(鹿取)


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