かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男の一首鑑賞 143

2021-01-01 19:28:38 | 短歌の鑑賞
   ブログ版 渡辺松男研究 17  2014年6月
          【Ⅱ 宙宇のきのこ】『寒気氾濫』(1997年)62頁~
       参加者:泉真帆、鈴木良明、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
         レポーター:鈴木 良明 司会と記録:鹿取 未放
            

143 神は在りてもなくても秋の大けやき宙宇に赤ききのこを張れり

 【レポート】高い大けやきの枝分かれしたところに赤いキノコがいっぱい押し拡がっていたのだろう。普通キノコは地面に近いところに生えるはずなのに、秋の黄落で見通しが良くなっている高枝の根本に、まるで宙宇に張られているように生えている不思議さ。上句の「神は在りてもなくても」に、「神」がこの世界をつくったとする過去の世界観とは異なる、現実に存在していることを思考の出発点とする実存主義的姿勢が見えるのである。(鈴木)

 
     (発言)      
★神はあってもなくてもいいや、っとなったのは実存主義が出発点だと思います。とにかく私はこ
 こにいるのよというのが出発点。「現実存在が本質に先立つ」というサルトルの言葉があるけど、
 そういう立場からうたっているのかなと。(鈴木)
★宇宙から見た風景なのかなと。(泉)
★このきのこはけやきの紅葉のことで、ほんとうのきのこじゃないんじゃない?(慧子)
★私もそう思います。大きなけやきが紅葉して立っているのを赤いきのこと言っている。それを宇
 宙から眺めたような大きなスケールで捉えている。秋の澄んだ空気の中で大きなけやきがまっ赤
 に紅葉してたくましく立っている。松男さん、木が好きだから、これもいつも親しんでいる木な
 のでしょうかね。その感動的な姿を見ていると、神はあってもなくてもこういう美しい木が存在
 する、それで十分じゃないかという気になっている。(鹿取)
★渡辺さん、無理な見立てはしないから、けやきをきのこに例えているんじゃなくて、やっぱりけ
 やきにきのこが生えていてもいいんじゃないかな。まあ、どちらでもとれると思うけど。やっぱ
 り不思議さですよね。(鈴木)
★上の句に実感がある気がします。(慧子)

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 渡辺松男の一首鑑賞 142 | トップ | 渡辺松男の一首鑑賞 144 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

短歌の鑑賞」カテゴリの最新記事