ブログ版 渡辺松男研究 17 2014年6月
【Ⅱ 宙宇のきのこ】『寒気氾濫』(1997年)62頁~
参加者:泉真帆、鈴木良明、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
レポーター:鈴木 良明 司会と記録:鹿取 未放
144 地に立てる吹き出物なりにんげんはヒメベニテングタケのむくむく
【レポート】ヒメベニテングタケは、有毒であり面妖な姿だが、地面からむくむくと生えて地に立っている。にんげんもそのような存在なのだ、と作者は詠む。「吹き出物」という見立ての中に、「やっかいなもの」「なければないほうがよいもの」という気持ちが垣間見られる。
本質論から入る伝統的哲学が人間の存在根拠を示しているのに対し、ハイデガーの「現存在」は、存在に根拠を持たないため、常にそのような不安な気持ちが内在するのである。そこでサルトル(1905~1980)は、ハイデガーの影響のもと「現実存在が本質に先立つ」という実存主義を宣言し、自分の本質的なあり方を決める「実存的決断」は各自が自由に自らの責任で行わなければならない、そして行為によって形になるので、現実への積極的参加(アンガージュマン)が各人の義務になると、主張した。(鈴木)
(発言)
★知らないのでネットで調べたんですが、きのこハンターにとってはヒメベニテングタケは貴重な
きのこみたいですね。毒だそうですが。(鹿取)
★ヒメという言葉の響きとしてはちょっと愛らしい気もしますね。宇宙を汚してしまう存在だけど、
しょうがないなあ、みたいな。(泉)
★そこに広がりを感じますね。ニヒルに切って捨てているわけではない。(鈴木)
★名付け的には「ヒメ」は小さいという意味で、かわいらしいとかいう意味合いはないのですが、
やっぱりこの歌では「ヒメ」があるために救いが残されていますよね。『泡宇宙の蛙』の「ごう
まんなにんげんどもは小さくなれ谷川岳をゆくごはんつぶ」を思い出します。あれ、谷川岳を登
る人間が小さなごはんつぶのように這いつくばっているという解釈をよく見かけますが、私はち
ょっと違って、おにぎりからこぼれたごはんつぶに目鼻が付いて、びゅーびゅーと人間の頭上を
飛んでゆく愉快な図を思い浮かべたりします。(鹿取)
★ヒメベニテングタケの歌読むと地球儀が浮かんで、その表面に人間が赤い茸になってびっしり生
えている、とってもコミカルな像が浮かびます。「かりん」の2011年11月号の渡辺松男特
集で、『寒気氾濫』から本人が5首選ぶ中にこの歌があるんですね。それで本人がとって も面白
いをしています。 (鹿取)
バブル景気の頃(私は自然保護に携わっていましたから余計にだと思うのです
が)、バブルに完全に浮かれてしまっていた人間たちに、何を勘違いしているのだ
と、心底うんざりしていました。その気持ちをひきずっていてこの歌ができたの
ですが、少しぶきみな歌になってしまったようです。吹き出物の実感をもたせるた
めに「むくむく」としたのですが、人間のたとえに使ってしまい、ヒメベニテング
タケには申しわけないことをしたと思っています。(渡辺松男)
【Ⅱ 宙宇のきのこ】『寒気氾濫』(1997年)62頁~
参加者:泉真帆、鈴木良明、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
レポーター:鈴木 良明 司会と記録:鹿取 未放
144 地に立てる吹き出物なりにんげんはヒメベニテングタケのむくむく
【レポート】ヒメベニテングタケは、有毒であり面妖な姿だが、地面からむくむくと生えて地に立っている。にんげんもそのような存在なのだ、と作者は詠む。「吹き出物」という見立ての中に、「やっかいなもの」「なければないほうがよいもの」という気持ちが垣間見られる。
本質論から入る伝統的哲学が人間の存在根拠を示しているのに対し、ハイデガーの「現存在」は、存在に根拠を持たないため、常にそのような不安な気持ちが内在するのである。そこでサルトル(1905~1980)は、ハイデガーの影響のもと「現実存在が本質に先立つ」という実存主義を宣言し、自分の本質的なあり方を決める「実存的決断」は各自が自由に自らの責任で行わなければならない、そして行為によって形になるので、現実への積極的参加(アンガージュマン)が各人の義務になると、主張した。(鈴木)
(発言)
★知らないのでネットで調べたんですが、きのこハンターにとってはヒメベニテングタケは貴重な
きのこみたいですね。毒だそうですが。(鹿取)
★ヒメという言葉の響きとしてはちょっと愛らしい気もしますね。宇宙を汚してしまう存在だけど、
しょうがないなあ、みたいな。(泉)
★そこに広がりを感じますね。ニヒルに切って捨てているわけではない。(鈴木)
★名付け的には「ヒメ」は小さいという意味で、かわいらしいとかいう意味合いはないのですが、
やっぱりこの歌では「ヒメ」があるために救いが残されていますよね。『泡宇宙の蛙』の「ごう
まんなにんげんどもは小さくなれ谷川岳をゆくごはんつぶ」を思い出します。あれ、谷川岳を登
る人間が小さなごはんつぶのように這いつくばっているという解釈をよく見かけますが、私はち
ょっと違って、おにぎりからこぼれたごはんつぶに目鼻が付いて、びゅーびゅーと人間の頭上を
飛んでゆく愉快な図を思い浮かべたりします。(鹿取)
★ヒメベニテングタケの歌読むと地球儀が浮かんで、その表面に人間が赤い茸になってびっしり生
えている、とってもコミカルな像が浮かびます。「かりん」の2011年11月号の渡辺松男特
集で、『寒気氾濫』から本人が5首選ぶ中にこの歌があるんですね。それで本人がとって も面白
いをしています。 (鹿取)
バブル景気の頃(私は自然保護に携わっていましたから余計にだと思うのです
が)、バブルに完全に浮かれてしまっていた人間たちに、何を勘違いしているのだ
と、心底うんざりしていました。その気持ちをひきずっていてこの歌ができたの
ですが、少しぶきみな歌になってしまったようです。吹き出物の実感をもたせるた
めに「むくむく」としたのですが、人間のたとえに使ってしまい、ヒメベニテング
タケには申しわけないことをしたと思っています。(渡辺松男)
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