2025年度版 渡辺松男研究46(2017年2月実施)
『寒気氾濫』(1997年刊)【冬桜】P154~
参加者:泉真帆、M・S、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
レポーター:①曽我 亮子 ②渡部 慧子
司会と記録:鹿取 未放
387 木の向こう側へ側へと影を曳き去りゆくものを若さと呼ばん
(当日発言)
★自分の大事な青春をいうのに、自分の好きな木から語り始めている。(慧子)
★向こう側が若さということですか?(真帆)
★作者がそう言っているのでそうです。目の前を去っていくなら捕まえられそうだけど、木の向こう側へ行くのが捕らえられない儚いものだということかな。(慧子)
★向こう側というのが作者のキーワードの一つで、哲学的な深い意味合いを持っているようです。向 こう側へ去っていくのは光りだったり影だったりするんですが、ここは若さですから少し屈折がない感じがします。余談ですけど、小池光の「ポプラ焚く榾火(ほだび)に屈むわがまへをすばやく過ぎて青春といふ」(『バルサの翼』S・53年)を思い出しました。小池さんの青春は前を過ぎていく けどやっぱり捕まえられないんですね。(鹿取)
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