かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男の一首鑑賞 2の215

2019-11-06 21:39:05 | 短歌の鑑賞
   ブログ用渡辺松男研究2の28(2019年10月実施)
     Ⅳ〈水〉『泡宇宙の蛙』(1999年)P138~
     参加者:泉真帆、岡東和子、A・K、菅原あつ子(紙上参加)、鹿取未放
     レポーター:岡東和子    司会と記録:鹿取未放

215 水が粘りこの世へもどれなくなりし水たまりの底のわれと夕焼け

     (レポート)
 水が粘つて、水たまりの底の自分と夕焼けは、この世へもどれなくなつた。作者は水たまりに足をとられたのだろうか。その水たまりには夕焼けも映つているのだろう。「この世へもどれなく」なつたというのが、大きな表現である。(岡東)


      (紙上参加意見)
 この水は作者を異界へ連れていく水。粘るその底に作者を閉じこめてしまった。けれど作者はそこで夕焼けを見ている。すでに開き直って、異界を楽しんでいるのだ。(菅原)


          (当日発言)
★「この世へもどれなくなりし」は「水」に掛かるのか、切れるのか?われは水たまりの
 底にいるの?(真帆)
★われと夕焼けは同列で、水たまりの底にいるわけ?(A・K)
★そうですね、でもこれは「この世へもどれなくなりし」ってあるから、リアルな歌じゃ
 ないよと言っているので却って読みやすい気がする。(鹿取)
★水たまりの底にわれは沈んでいるんだと思う。そして、水たまりに映る夕焼けを見てい
 る。(真帆)
★水たまりの底には夕焼けは映らない、映るとしたら水たまりの表面でしょう?(A・K)
★プールみたいなところにいるとすると、水は夕焼け色になっている。(真帆)
★自分は水の底にいるけれど向こうには夕焼けが見える。絶望の中の希望のようなものか
 と読んだんだけど。情景がよく分からない。(A・K)
★私は水たまりだから人間が沈めるほど深いとは思わない。せいぜい5センチくらいの感
 じ。この世からこの水たまりははみ出していて、〈われ〉はそこにいる。でも、夕焼け
 が寄り添っている。213番歌(われの見る水はみずあめみずあめがねっとりといま蛇
 口から垂る)のつづきで読むと、水たまりがこの世に戻れなくなったのは時間に関係が
 あるのかな。(鹿取)
★夕焼けは西の空に出るので、あの世。(真帆)


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