かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺『』『泡宇宙の蛙』の一首鑑賞 88

2022-05-19 16:53:21 | 短歌の鑑賞
  22年改訂版 渡辺松男研究2の12(2018年6月実施)
    【ミトコンドリア・イブ】『泡宇宙の蛙』(1999年)P60~
     参加者:泉真帆、K・O(紙上参加)、T・S、渡部慧子、鹿取未放
   レポーター:泉真帆 司会と記録:鹿取未放


88 黒内障よりおそろしきことのひとつにておばあちゃんの夢を知らない

  (A)〈おばあちゃん〉の夢などというおよそ現代が注意を払わないものが〈黒内障〉
   の比喩を得て深さを持ち始める。あらゆる物をなぎ倒して前進してきた時代は〈おば
   あちゃん〉の夢などに気づいたら恐ろしい失速を始めるのではないか、この〈夢〉に
   は足元の暗渠のような深さが感じられる。(川野里子)
 (E)眼球自体には異常がないのに、失明に至る、おそろしい(静かな、静けさ)の黒
   内障。おばあちゃんの夢を知らない、ということを黒内障よりもおそろしいこととし
   て据えています。おばあちゃんは絶望しているのでしょうか?いや、そうでもないで
   しょう。おばあちゃんはもっと淡々としている様子、しかし、おばあちゃんの時間が
   あるところで停止しているような感じもします。(K・O)


(レポート)
 大切なおばあちゃんなのにそのおばあちゃんの夢さえ僕(作者・作中主体)は知らない、まるで失明しているかのように。(おばあちゃんを深く)知ろうとしない僕の愛の欠如を詠ったのか。(真帆)


        (当日意見)
★私はお婆さんを大切な人だと位置づけている歌と読みました。だから、その人の夢を知ら
 ないことは愛情の欠如のように思って、そこをうたいたかったのかなと。そういう人とし
 ての欠如が盲目になることよりも怖ろしいと。(真帆)
★真帆さんみたいに取れば、情としてはとってもよく分かる歌になりますね。川野さんの
 「現代から忘れ去られたおばあちゃん」という時代を絡めたアプローチの仕方の方が、お
 ばあちゃんの夢を知らないことが黒内障より怖ろしいことの一つだと思えるルートとし
 て、私には分かりやすいのですが。底深くて恐いですけれど。また、身内ととると次の
 ミトコンドリア・イブのおばあちゃんが分からなくなりますね。(鹿取)


      (後日意見)
 真帆さんの意見から再考してみた。確かに「おばあちゃん」という呼びかけのザラザラ感は、次の89番歌(おばあちゃんお寺なんてみな嘘ですねミトコンドリア・イブのおばあちゃん)が突出している。そして89番歌は見方によってはおばあちゃんを冷たく突き放している。考えてみるとこの88番歌や86番歌(自転車にも乗れないんだねおばあちゃん一日はどのくらいながいの)はおばあちゃんの心に寄り添おうとする親愛の情が流れていて89番歌とは温度差があるようだ。(鹿取)



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