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かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男の一首鑑賞 1の54

2020-07-25 17:23:55 | 短歌の鑑賞
  ブログ版渡辺松男研究⑥(13年6月) 『寒気氾濫』(1997年)橋として
       参加者:崎尾廣子、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
       司会と記録  鹿取未放
                   

54 土という滅びる巨人ほろびつつ樹根まるごと抱きて眠る

 ★土って地球じゃない。土で覆われているから。巨人ともいえるんじゃない。滅
  びながらも樹根を抱いている。土の力、偉大さを歌っているのかな。(曽我)
 ★母なる大地とかいうとつまらなくなるけど、そういう土に対する親愛感なのか
  なあ。巨人というと曽我さんのように大きなスケールでイメージしますけど、
  「樹根まるごと抱きて眠る」はやはり母性を感じます。上句と下句で断絶があ
  りそうにみえて、「ほろびつつ」という視点でまとめている。「ほろびつつ」
  がいちばん言いたいことかなあと思います。(鹿取) 

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渡辺松男の一首鑑賞 1の53

2020-07-24 16:35:49 | 短歌の鑑賞
  ブログ版渡辺松男研究⑥(13年6月) 『寒気氾濫』(1997年)橋として
       参加者:崎尾廣子、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
      司会と記録  鹿取未放
                   

53 キャベツのなかはどこへ行きてもキャベツにて人生のようにくらくらとする

 ★人生は同じことの繰り返しで、昨日も今日も明日もキャベツを剥くようなもの。
  この「キャベツにて」までは何となく序詞のような働きをしているなあと。以
  前、鈴木さんがキャベツの歌の鑑賞でどこまでいっても本質に突き当たらない
  と言っていらした。(慧子)
 ★人生がキャベツのようにいっぱいいっぱい並んでいるようで、どこへいっても
  くらくらしたというような感じかなあ。(曽我)
 ★キャベツの中って、キャベツがたくさん並んだキャベツ畑のイメージなの?そ
  れとも一個のキャベツの中を進んでいくイメージ?私は「畑」とは書いてない
  から一個のキャベツの中を人間の自分が小さくなって進んでいく様子をイメー
  ジしていたんだけど。(鹿取)
 ★キャベツ畑です。(曽我)
 ★では、この歌については、渡辺松男さんが『寒気氾濫』自選5首に選んで自歌
  自注しているので見てみましょう。
  【安立スハルのキャベツ「馬鹿げたる考へがぐんぐん大きくなりキャベツなど
   が大きくなりゆくに似る」を意識していました。それにカフカの『城』の到
   達できない不条理のようなことをドッキングさせたのです。】
                 「かりん」2010年11月号


 
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渡辺松男の一首鑑賞 1の52

2020-07-23 19:19:28 | 短歌の鑑賞
  ブログ版渡辺松男研究⑥(13年6月) 『寒気氾濫』(1997年)橋として
       参加者:崎尾廣子、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
        司会と記録  鹿取未放
                   

52 まなうらに日照雨(そばえ)降らせておりたれど核廃棄物輸送船過ぐ

 ★単純にいいますけど、日照雨が降るように核廃棄物輸送船がいとも軽やかに過
  ぎていく、という歌かなあ。文明批評の歌と読んだ。(慧子)
 ★「まなうらに」というところはどうですか?ここでは日照雨が降っているので
  はなく、まなうらに日照雨を降らせているとありますが。それから慧子さんの
  解釈だと順接ですが、この歌は「おりたれど」だから逆接ですね。(鹿取)
 ★すみません、分かりません。(慧子)
 ★外に日照雨が降っていて、それを見ていて目を閉じたからまなうらにその残像
  が残っている、とも考えられますが。でも実際には降っていないけど、まなう
  らにだけ降らせているのかも知れないし。日照雨ってお日様が照っているのに
  降っている雨のことかと思っていたら、辞書にはあるところだけ降っている雨
  って出ていました。下の句の核廃棄物輸送船はいろんな人が歌にしていて、私
  も歌ったけど、たぶん目撃して作っている人は少なくて、そういうものが航
   行していることはみんな情報として知っているので、それで作っているのじゃ
  ないか。まなうらに優しげで明るい日照雨を思い浮かべていたけれど、次の瞬
  間そこを核廃棄物輸送船が通っていったよ、つまり核廃棄物輸送船が過ぎてい
  くのもまなうら。だからどうなんだと言われると困るけど、穏やかな日常の中
  に忍び寄る生の脅威かな、でもそう言葉で解釈したら全然つまらない。
   核廃棄物輸送船というのは、だいたいって5000トンくらいの小さくて地
  味な船だそうです。核廃棄物をガラス固化体ってよく分からないけど、そうい
  う状態にして輸送するらしい。接岸している港を見にいったら別だけど、それ
  は一般には知らされないから無理だし、海峡などを通過していく場合もすれ違
  っても、あそこに核廃棄物輸送船が通っていくよって分からないんじゃないか
  な。(鹿取)

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渡辺松男の一首鑑賞 1の51

2020-07-22 16:06:32 | 短歌の鑑賞
  ブログ版渡辺松男研究⑥(13年6月) 『寒気氾濫』(1997年)橋として
       参加者:崎尾廣子、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
        司会と記録  鹿取未放
                   

51 測深鉛深空へ垂らしつづけつつ屋上にわれは眠くなりたり

 ★崎尾さんは「深空」を「しんくう」と読まれたけど「みそら」あるいは「ふか
  ぞら」じゃないですか?「真空」と紛らわしいから。(鹿取)
 ★この測深鉛って海なんかに垂らすものですよね。それを空に垂らしている。逆
  に向いているんですよね。この作者は覚醒者だと思う。レポーターは効率優先
  の世と書いていらっしゃるが渡辺さんはそれに距離を置いている。文明を否定
  している訳ではないが距離を置いていると読みました。(慧子)
 ★今の慧子さんの意見を面白く思いました。測深鉛は海や湖に垂らして深さを測
  る道具ですが、ここではそれを空に向けている。渡辺さんはこういう逆方向の
  歌をたくさん作っています。もっとも地球は球体なんだから空に向けて垂らし
  ても理屈ではありなんですが。測深鉛は20メートルくらいが普通だそうです
  から、垂らしつづけるにはとても足りない。だから無限ほども長い測深鉛を垂
  らし続けている。それは永遠ほど長い時間が必要だから眠くもなる訳です。そ
  れでイメージとしては以前やった宰相からの要請を蹴って在野にあって塗中に
  尾を曳く思想家達を思いました。老子のような人たちが釣り糸を垂らす代わり
  に屋根の上で測深鉛を垂らしている。社会と距離を取っている生のありようを
  わりとユーモラスに描いているのかな。それと、ポワンカレの紐のことも連想
  しました。以前ポワンカレの紐の歌を歌会に提出した時言ったけど、仮に宇宙
  に紐を曳いて一周して、その紐が回収できたら宇宙は球体をしているって。も
  ちろん理論上の話で、実際には不可能ですけど。(鹿取)


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渡辺松男の一首鑑賞 1の50

2020-07-21 21:18:06 | 短歌の鑑賞
  ブログ版渡辺松男研究⑥(13年6月) 『寒気氾濫』(1997年)橋として
       参加者:崎尾廣子、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
    司会と記録  鹿取未放
                   

50 瞑目のうちに歴史は忘れらるみどりのかげのDAIBUTSUの像

 ★この歴史を個人のものとみるか、もっと大きな歴史のことか迷いました。
  (崎尾)
 ★簡単そうに見えてとても深いところを歌っている歌で、簡単には言えない。英
  字で表しているのにも意味があるんでしょうね。(曽我)
 ★鎌倉の大仏を想像した。戦後アメリカが進駐してきて日本の歴史が忘れられた
  ような時期があった。そのことを言っているんじゃないか。瞑目は誰のものか
  分からないけど、半眼の大仏のものかもしれない。(慧子)
 ★私も鎌倉の露座の大仏を思いました。みどりのかげだから。でも全体にはよく
  分からない。ただ個人の歴史では歌にならないし、戦後の歴史でも小さすぎる。
  もっと大きな世界の、人間の歴史のことだとは思う。(鹿取)



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