ブログ版 清見糺の短歌鑑賞
鎌倉なぎさの会 鹿取 未放
239 蕎麦焼酎〈雲海〉ひとりで飲みながら行きがた知れずの鬼とかたらう
2003年7月作
雲海は作者が愛飲していた焼酎の銘柄。清見氏も参加した旅行で宮崎県の山懐を走っているバスの中から雲海を製造する工場を見たように記憶している。ともあれ雲海というはろばろとした懐かしいイメージが「行きがた知れずの鬼」との語らいによく釣り合っている。「行きがた知れずの鬼」とは、ビンラディンのことだろう。
この歌が作られた〇三年七月当時、少し下火になりかけていたとはいえ巷ではまだビンラディンは時の人だったし、多くの歌人が彼を歌っていた。調べてみると「かりん」〇三年七月号に馬場あき子が次の歌を発表している。
時代閉塞の情況は啄木以来なり行方不明の鬼こそが鬼
『鬼の研究』を書いた馬場の歌、「行方不明の鬼」こそが本当の鬼だという。清見の掲出歌の制作時期は〇三年七月だから、馬場のこの歌を読んでそれに呼応するかたちで歌ったのだろう。もちろん、馬場の歌にもビンラディンという固有名詞は出てこない。では、次の歌はどうか。同年二月号の馬場の歌である。
洞窟にもしは横たはりゐむといふ「死者の書」の主人公(ヒーロー)のごときかなその人
ここにも固有名詞はない。しかし、同年一一月発行の歌集『九花』の「孤悲」という一連二十四首の中にこの洞窟に……の歌は含まれている。その「孤悲」の題の下には「――ビンラディンのことを思ふ日々――」という詞書き風の説明が付いているのだ。一連からもう一首引く。
丈三尺伸びし黄菊や管(くだ)菊やビンラディン生きて逃れよと思ふ
「かりん」7月号に載った「行方不明の鬼」の歌は 11月発行の『九花』には無いが編集が間に合わなかったのだろう。
鎌倉なぎさの会 鹿取 未放
239 蕎麦焼酎〈雲海〉ひとりで飲みながら行きがた知れずの鬼とかたらう
2003年7月作
雲海は作者が愛飲していた焼酎の銘柄。清見氏も参加した旅行で宮崎県の山懐を走っているバスの中から雲海を製造する工場を見たように記憶している。ともあれ雲海というはろばろとした懐かしいイメージが「行きがた知れずの鬼」との語らいによく釣り合っている。「行きがた知れずの鬼」とは、ビンラディンのことだろう。
この歌が作られた〇三年七月当時、少し下火になりかけていたとはいえ巷ではまだビンラディンは時の人だったし、多くの歌人が彼を歌っていた。調べてみると「かりん」〇三年七月号に馬場あき子が次の歌を発表している。
時代閉塞の情況は啄木以来なり行方不明の鬼こそが鬼
『鬼の研究』を書いた馬場の歌、「行方不明の鬼」こそが本当の鬼だという。清見の掲出歌の制作時期は〇三年七月だから、馬場のこの歌を読んでそれに呼応するかたちで歌ったのだろう。もちろん、馬場の歌にもビンラディンという固有名詞は出てこない。では、次の歌はどうか。同年二月号の馬場の歌である。
洞窟にもしは横たはりゐむといふ「死者の書」の主人公(ヒーロー)のごときかなその人
ここにも固有名詞はない。しかし、同年一一月発行の歌集『九花』の「孤悲」という一連二十四首の中にこの洞窟に……の歌は含まれている。その「孤悲」の題の下には「――ビンラディンのことを思ふ日々――」という詞書き風の説明が付いているのだ。一連からもう一首引く。
丈三尺伸びし黄菊や管(くだ)菊やビンラディン生きて逃れよと思ふ
「かりん」7月号に載った「行方不明の鬼」の歌は 11月発行の『九花』には無いが編集が間に合わなかったのだろう。