かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

清見糺の歌一首鑑賞 239

2022-10-21 18:46:21 | 短歌の鑑賞
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                   鎌倉なぎさの会  鹿取 未放


239 蕎麦焼酎〈雲海〉ひとりで飲みながら行きがた知れずの鬼とかたらう
               2003年7月作

 雲海は作者が愛飲していた焼酎の銘柄。清見氏も参加した旅行で宮崎県の山懐を走っているバスの中から雲海を製造する工場を見たように記憶している。ともあれ雲海というはろばろとした懐かしいイメージが「行きがた知れずの鬼」との語らいによく釣り合っている。「行きがた知れずの鬼」とは、ビンラディンのことだろう。
 この歌が作られた〇三年七月当時、少し下火になりかけていたとはいえ巷ではまだビンラディンは時の人だったし、多くの歌人が彼を歌っていた。調べてみると「かりん」〇三年七月号に馬場あき子が次の歌を発表している。
   時代閉塞の情況は啄木以来なり行方不明の鬼こそが鬼
 『鬼の研究』を書いた馬場の歌、「行方不明の鬼」こそが本当の鬼だという。清見の掲出歌の制作時期は〇三年七月だから、馬場のこの歌を読んでそれに呼応するかたちで歌ったのだろう。もちろん、馬場の歌にもビンラディンという固有名詞は出てこない。では、次の歌はどうか。同年二月号の馬場の歌である。
  洞窟にもしは横たはりゐむといふ「死者の書」の主人公(ヒーロー)のごときかなその人
 ここにも固有名詞はない。しかし、同年一一月発行の歌集『九花』の「孤悲」という一連二十四首の中にこの洞窟に……の歌は含まれている。その「孤悲」の題の下には「――ビンラディンのことを思ふ日々――」という詞書き風の説明が付いているのだ。一連からもう一首引く。
  丈三尺伸びし黄菊や管(くだ)菊やビンラディン生きて逃れよと思ふ
 「かりん」7月号に載った「行方不明の鬼」の歌は 11月発行の『九花』には無いが編集が間に合わなかったのだろう。
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清見糺の短歌鑑賞 236、237、238

2022-10-20 10:55:03 | 短歌の鑑賞
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236 びょういんないゆくえふめいとなりにけりしんやくるしみだしたるおきなは
                 2003年7月作

 全ひらがなで少しわかりにくいかもしれないが、「びょういんないゆくえふめい」とはつまり大部屋から重病患者用の個室かICUなどに行ってしまったということだろう。その先には多くの場合、霊安室が待っている。いずれにしろ大部屋の患者達には行く先は教えられない。同室だった患者達は、深夜苦しみだしてそのままどこかへ連れて行かれたきり戻ってこない老人のことを案じながら、明日は我が身と思っているのだ。
 ベッドの足元の方に下げられた食事用のテーブルに箸箱がひとつ乗ったきり一週間も一〇日も戻ってこない隣のベッドの老人がいた。その人のことを詠んだのだろう。


237 れんらくのとれぬところへゆきにけりりんじんとして在りしおきなは
              2003年7月作

 236番歌(びょういんないゆくえふめいとなりにけりしんやくるしみだしたるおきなは)から何日かが過ぎた。236・237番歌は「かりん」に採られなかったが作者は気に入っていた歌のようで、この歌は「りんじんとして在りし」が良いと自賛していた。大部屋の隣のベッドで何日間かを並んで眠った老人が、とうとう連絡のとれないあの世へ行ってしまったのだ。


238 とびらみなととざされし廊下ゆく死者のしずかなること無限のごとし
                          2003年7月作

 扉が皆閉ざされるとは病室の扉のこと。病院で死んでしまった人を運ぶときは、ボタン一つの操作で全ての病室の扉が閉ざされるのだそうだ。その廊下をストレッチャーに載せられた死者が霊安室に運ばれてゆくのだ。その時、息をひそめて室内にいる病人たちはどんなに恐れおののいていることだろう。

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清見糺の歌の鑑賞 234、235

2022-10-19 18:50:59 | 短歌の鑑賞
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234 てんてきぼうかたわらになきさびしさを言ってナースをわらわせてみる
               2003年7月作

 この歌は、抗ガン剤の何クールかを終えて一休みしている時季で、久しぶりに点滴棒に繋がれていなかったのだろう。結句、初案は「わらわせている」だった。推敲した「みる」の方が屈折感が出ている。

235 エルヴィスのCD聞きつつ病院内徘徊をするウォークマンわれ
             2003年7月作

 「ウォークマン」は商標名だが、文字通りの「歩く人」と掛けているのだろう。ホモエレクトゥスなどの連想もあるにちがいない。
 上田三四二の次の歌を思い出した。   
  右霊安室左リニヤック室いたはられ左にまがるいつの日までぞ
              一九八九年『鎮守』上田三四二
 右霊安室……の思いが心の底にはあるようにも思われるが、歌にも思いにもまだ遊びの要素が残っているようだ。

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清見糺の一首鑑賞 233

2022-10-18 16:44:57 | 短歌の鑑賞
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233 道などは聞かずともよし夕星のおんなに逢いてあした死ぬ身は
       2003年7月作

 232番歌の「せいしんがだらくしたからガンじごくにおちたのだろう 汝(な)はあどか思(も)う」と同時期の作なので、セットになる歌だろう。論語の「朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり」を下敷きにしていて、論語同様「夕」と「あした」が対になっている。「夕星」は宵の明星をいう語だが、夕方西の空に出るところから「夕星のおんな」は、晩年になって出会った女をいうのだろう。ところで、一読見逃しそうだが「逢い」は古歌同様、単に顔を見るだけのことを言っているのではなく、メイクラブのことである。そう考えると、「道などは聞かずともよし」と考える作者の気分は、がぜん説得力をもってくる。
 古歌の「逢ふ」や「見る」がほとんどメイクラブのことであるのは自明のことだが、有名な例を三首だけ引いておく。いずれも、『新々百人一首』(丸谷才一)に載る歌である。
  逢ひ見てののちの心にくらぶれば昔はものを思はざりけり 藤原敦忠
うたた寝に恋しき人を見てしより夢てふものは頼みそめてき 小野小町
  夢(いめ)の逢ひは苦しくありけり驚きてかきさぐれども手にも触れねば 大伴家持
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清見糺の歌一首鑑賞 232

2022-10-17 12:51:02 | 短歌の鑑賞
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232 せいしんがだらくしたからガンじごくにおちたのだろう 汝(な)はあどか思(も)う
「かりん」2003年7月作

 万葉集東歌の本歌取り。本歌は次のとおり。
  子持山若かへるでのもみつまで寝もと我は思ふ汝はあどか思ふ
 (子持山の若いかえでの葉が秋になって紅葉するまでおまえと共寝しようと思うが、お  まえはどう思う?)
 本来本歌取りは取る句の位置を変え、情趣も変えるのが習わしだが、この歌は結句を同じにしているし、相聞歌であることもかわらないようだ。
 かつて、万葉の相聞歌を引き合いにだして恋を語り合った相手とも、時が経って我が儘をいったりしたりしあって、考えてみれば傷つけあってきたものだ。こんなふうに自分が堕落したからそれで癌地獄に堕ちたのだろうか。きみはどう思うかいというのだ。もちろん質問しているわけではなく、本歌同様相手に同意を求めているのだろう。

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