かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男『寒気氾濫』の一首鑑賞 366

2024-12-26 10:49:48 | 短歌の鑑賞

 2024年度版 渡辺松男研究44(2016年12月実施)
     『寒気氾濫』(1997年)【半眼】P148~
      参加者:泉真帆、M・S、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
        レポーター:渡部 慧子       司会と記録:鹿取 未放          


366 君に電話をしようかどうかためらうに夕日は落ちるとき加速せり

               (当日意見)
★このまんま、ためらっている内にすっかり暮れてしまった。(M・S)
★ためらっている時間は 長かったんだけど、夕日はそれを追いつめるように加速した、とても 巧みな歌だと思う。(真帆)
★とても素直な歌だと思います。用事がある訳でもなさそうだし、ためらっているうちに夕日が加速 するように沈んでいった、その淡い失望感というか哀しみ。結句が上手いですね。(鹿取)
★夕日はの「は」が上手いですね。(真帆)
★独特の文体ですね。最近の助詞の使い方もますます独特で、とても真似のできないユニークな文体 ですね。(鹿取)

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渡辺松男『寒気氾濫』の一首鑑賞 365

2024-12-25 11:08:44 | 短歌の鑑賞

 2024年度版 渡辺松男研究44(2016年12月実施)
     『寒気氾濫』(1997年)【半眼】P148~
      参加者:泉真帆、M・S、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
        レポーター:渡部 慧子       司会と記録:鹿取 未放          


365 触れんばかりの碧空があり今日こそは樹冠が何かしそうな気配

              (レポート)
 碧空をあこがれる者にとって、それはふれんばかりなのに、触れられないもどかしさがある。つねづね、そんな想いを抱いていると高木の樹冠が今日こそ何かしそうな気配だという。(慧子)

           
            (当日意見)
★今日こそ樹冠が何かしそうというのは光合成ではないですか。(曽我)
★何かいいことがありそう。木の先の方に希望がありそう。(M・S)
★ふれんばかりって、普通によく使いますよね。手が届きそうな感じって。この場合は〈われ〉にとって、でいいと思うけど、樹冠でもいいのかな。何かしそうの具体は曽我さんが光合成っておっしゃったんだけど。光合成はいつでもしているわけで、「今日こそは」には合わないですね。(鹿取)
★先端の動きが先鋭になってきて、いたずらでもしそう。(真帆)
★そうですね、空に届こうと背伸びしそうとか、そんな感じかしらね。(鹿取)

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渡辺松男『寒気氾濫』の一首鑑賞 364

2024-12-24 10:00:09 | 短歌の鑑賞

 2024年度版 渡辺松男研究44(2016年12月実施)
     『寒気氾濫』(1997年)【半眼】P148~
      参加者:泉真帆、M・S、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
        レポーター:渡部 慧子       司会と記録:鹿取 未放          


364 椎の木の匂える影に踏み入りて木の内側に一歩近づく

             (レポート)
 椎の木があって、その近づき方を漠然と捉えず、「一歩」としていることが細やかだ。立派なものへの、畏れ、つつましさ、の表れであろう。薫陶を受けるという言葉があるように、木の立派さがその匂いや影ににじんでいて近づくと、それと知らず影響を受けるのだろう。(慧子)
          

           (当日意見)
★椎の木が匂っている、その椎の木の内側が影なんだという捉え方がユニーク。陽が当たっている方ではなく、木からしみ出ている内面が影かなと思って。一歩近づくというのがレポーターとは違って、私はちょっと近づくくらいの、あまり意味がない感じ、具体的な一歩というよりも少し近づいたという感覚かなと。(真帆)
★私も一歩というのは真帆さんと同じ捉え方です。(M・S)
★影については、単純に木の影だと思うのですが。その影に入ると椎の木の匂いが感じられる距離になる。そしてそれは木の内側に一歩近づいたことでもある。レポートの「木の立派さ」というところに少しひっかかります。立派というのは歌のどこから導かれた解釈なんだろう。柿の木は立派でなく、椎の木は立派というような区別なんだろうか?それとも人間は立派でないけれど木はみんな立派っていう解釈なのか?作者は木の種類によって優劣は付けていないようだし。作者は木に憧れてはいるけど、人間一般と木を比べて優劣を言ってはいないと思うけど。(鹿取)
★薫陶を受けるという言葉がありますよね、傍にいるだけで良い影響を受けるような、この木もそん なようで、立派としました。椎の木は花時以外匂わないんだけど、それを匂うと表現するからには大きくて立派な木なんだろう、いいものなんだろうと思ったのです。影とまで言っているのですから。何かと比べてということではありません。(慧子)
★ここでは椎の花が咲いているのではないかな。そして、その木の影に入る。これはリアルな、陽光に よってできる普通の影です。そこに入ったことで木の本質に近づいた、という歌ではないでしょうか。(鹿取)

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馬場あき子の外国詠 338 スイス②

2024-12-23 11:17:16 | 短歌の鑑賞

   2024年度版 馬場あき子の外国詠46(2011年12月実施)
    【氷河鉄道で行く】『太鼓の空間』(2008年刊)167頁~
     参加者:K・I、N・I、鹿取未放、崎尾廣子、曽我亮子、
        たみ、藤本満須子、渡部慧                                      

 338 永世中立の国にもとびきりの産業なしはるかなる憧れとして天にある山

               (まとめ)
 国を豊かにする産業はないので、スイスは相対的には貧しい。そして雪を被った美しいアルプスだけがあっけらかんと聳えている。豊かな産業は何もないが、永世中立の国として世界から憧れをもって見られている。そして「天にある山」は人間や国のおもわくを超えて、ただ在る。その「ただ在る」状態にこそ作者は崇高さを感じ、賛嘆しているのだ。(鹿取)                                                

               (レポート)
 スイスは4つの公用語を持つ多民族国家であり、連邦共和国である。数々の名峰が連なるアルプス山脈がある、永世中立国である。2句の「とびきりの」がこの歌の中で冴えており、4句の「はるかなる」と共に結句を立ち上がらせている。(崎尾)


               (当日意見)
★よく分からない。「国にも」の「も」が不思議だ。上の句は傲慢な感じがする。肯えない。(藤本)
★作者は平和に強い関心がある。地球のみんなが憧れる平和を体現すべくスイスは永世中立を宣言している国である。にもかかわらずそれを支える産業がないことへの驚きがこの歌にはある。また、中米にも永世中立国は在る。スイスは中立とはいえ武力は持っている。永世中立であることも、「天にある山」も世界の人々の憧れである。(たみ)
★藤本さんの発言の「国にも」の「も」の説明は、「たみ」さんの「にもかかわらず」の意見で解決する。また、「永世中立の国にもとびきりの産業なし」という上の句は事実を言っているだけなので傲慢だとは思わない。トルコ詠の「苦悩なき顔もて貧しき老爺たち夕べのチャイを道にゐて飲む」とか「宗教が 貧しさを苦とせざることトルコの旅に憩ひさびしむ」という歌い方に会員から異議が唱えられたこともあったが、この歌はそれらの歌とはまた違うようだ。永世中立というすばらしい立場を保っている国にして、それを支える経済力を持つための産業がないことを作者は惜しんでいるのだろう。「はるかなる憧れとして」人間の思いの届かない「天にある山」だけがあるのだ。だから、この山を観光資源として金を儲け、国を富ませればよい、という次元の話ではない。国の富と関係なく、ただただ美しい雪山が眼前に在る。この歌、結局その山への賛美にかえってゆくようだ。9・9・6・12・7と大幅な字余りになっているが、結句7音で引き締めているので、それほど字余りが気にならない一首だ。(鹿取)

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馬場あき子の外国詠 337 スイス②

2024-12-22 11:47:01 | 短歌の鑑賞

   2024年度版 馬場あき子の外国詠46(2011年12月実施)
     【氷河鉄道で行く】『太鼓の空間』(2008年刊)167頁~
      参加者:K・I、N・I、鹿取未放、崎尾廣子、曽我亮子、
        たみ、藤本満須子、渡部慧子                                      

337 美しく遠く思ひのとどかざるアルプスの雪ゆめならず見る
        
             (レポート)
 眺めている場がよく分からないが展望台からであろう。マッターホルン、アイガー、メンヒ、ユングフラウなどの名峰の連なるアルプス。胸に沁みる美しい歌である。(崎尾)


            (当日意見)
★憧れていたアルプスを現実に見た喜びがよく表されている。(N・I)
★遠かったが実際に来ているアルプス全体を現在形で詠っている。しかし、見ているけれど一体化はで きない。(藤本)


       (まとめ)
 「とどかざる」は現在形だから、あこがれていた以前に届かなかったのはもちろん、実際に眺めている今も思いは届かないというのだろう。もし現実に見て思いが届いたのなら、ここは「届かざりし」と過去形になるはずだ。だから「遠く」は物理的な遠さのみではなく、精神的な距離を含んでいるのだろう。憧れていたアルプスにやってきて、夢ではなく目の前にその雪を見ている。しかしその余りにも美しいアルプスの崇高さにはとても思いは届かない。人間には触れることを許さないような圧倒的な神々しさがそこに在ったのだろう。「とどかざる」と人間の思いを拒絶することで、賛美を際だたせている。(鹿取)

 

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