2024年度版 馬場あき子の外国詠46(2011年12月実施)
【氷河鉄道で行く】『太鼓の空間』(2008年刊)167頁~
参加者:K・I、N・I、鹿取未放、崎尾廣子、曽我亮子、
たみ、藤本満須子、渡部慧
338 永世中立の国にもとびきりの産業なしはるかなる憧れとして天にある山
(まとめ)
国を豊かにする産業はないので、スイスは相対的には貧しい。そして雪を被った美しいアルプスだけがあっけらかんと聳えている。豊かな産業は何もないが、永世中立の国として世界から憧れをもって見られている。そして「天にある山」は人間や国のおもわくを超えて、ただ在る。その「ただ在る」状態にこそ作者は崇高さを感じ、賛嘆しているのだ。(鹿取)
(レポート)
スイスは4つの公用語を持つ多民族国家であり、連邦共和国である。数々の名峰が連なるアルプス山脈がある、永世中立国である。2句の「とびきりの」がこの歌の中で冴えており、4句の「はるかなる」と共に結句を立ち上がらせている。(崎尾)
(当日意見)
★よく分からない。「国にも」の「も」が不思議だ。上の句は傲慢な感じがする。肯えない。(藤本)
★作者は平和に強い関心がある。地球のみんなが憧れる平和を体現すべくスイスは永世中立を宣言している国である。にもかかわらずそれを支える産業がないことへの驚きがこの歌にはある。また、中米にも永世中立国は在る。スイスは中立とはいえ武力は持っている。永世中立であることも、「天にある山」も世界の人々の憧れである。(たみ)
★藤本さんの発言の「国にも」の「も」の説明は、「たみ」さんの「にもかかわらず」の意見で解決する。また、「永世中立の国にもとびきりの産業なし」という上の句は事実を言っているだけなので傲慢だとは思わない。トルコ詠の「苦悩なき顔もて貧しき老爺たち夕べのチャイを道にゐて飲む」とか「宗教が 貧しさを苦とせざることトルコの旅に憩ひさびしむ」という歌い方に会員から異議が唱えられたこともあったが、この歌はそれらの歌とはまた違うようだ。永世中立というすばらしい立場を保っている国にして、それを支える経済力を持つための産業がないことを作者は惜しんでいるのだろう。「はるかなる憧れとして」人間の思いの届かない「天にある山」だけがあるのだ。だから、この山を観光資源として金を儲け、国を富ませればよい、という次元の話ではない。国の富と関係なく、ただただ美しい雪山が眼前に在る。この歌、結局その山への賛美にかえってゆくようだ。9・9・6・12・7と大幅な字余りになっているが、結句7音で引き締めているので、それほど字余りが気にならない一首だ。(鹿取)