地方公設試験研究職を勤めあげ?、70歳ころまで溶接技能検定にタッチすることができました。間質性肺炎に悩まさる欲張りです。
ゆうゆう職場



  広い世の中を狭量一筋!に生きてきた。いや、正直に言えば考えもせず、脊髄延髄に近い反射で生きてきたのだろう。家族はもとより周辺の人々に迷惑をかけまくって古希を過ぎてしまった。
 料簡の狭さに応じてか呼吸器の肺臓までもが狭くなった。写真は先日のものと2020年を比べたもので、右肺の縮具合が情けない。この頃は呼吸ごとに器官を意識してしまう。都度、咳をする。腹腔、胸郭の内部に堰を造ってしまったように思うほどの呼吸困難である。今日も夕刻に浴槽のスポンジ清掃をしたのだが、それだけでハァハァゼェゼェでソファに倒れ込む。他人様からのお話を採り入れ反芻しなかった私にそっくり、私の肺は活動に生きるに必要な酸素はもちろんのことその酸素を1/4の構成要素とする空気を捕りこめないのだ。
 薬も手術も処方のない病ゆえ、諦めしかない。ただ、主治医はリハビリ入院を勧める。たしかに自宅と違う雰囲気の場に身を置くと、ポジティブになることもあった、前回のHOT向けリハビリ入院。来週早々に、1~2週間入院します。電磁方面は器用でないから、パソから離れてブログからも離れます。ホントラジオだけは忘れずに・・・

 ところで、この肺炎と明治から昭和にかけて宿痾とされた結核の苦しさはどのように違うのだろう。今頃になり寝床で手にすることが多くなった日本文学全集を読んでおると、気になります。前から好きだった梶井基次郎は別格として、最近読み直しておる田山花袋の田舎教師などでは涙が出ます(基次郎のには流れないのですが・・・)

















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