いきなりの漢文調が恥ずかしい。昨夜に記したとおり長部日出雄さんがビニール残滓に汚された十三湖(じゅうさんこ)を取り上げながら、十三の村も寂れた今と異なり安東氏支配の15世紀頃までは十三湊(とさみなと)と呼ばれ港町としての繁栄を記している。
長部さんの文をほぼママ引く。鎌倉幕府が海運業を振興するに『回船式目』を定め、十代貿易港として三津七湊を指定した。伊勢姉ヶ津;三重県、博多宇ノ津;福岡県、摂州堺ノ津;大阪府、越前三国湊;福井県、能登輪島湊(石川県)、越後今町湊;新潟県、加賀本吉湊;福井県、越中岩瀬湊;富山県、出羽秋田湊;秋田県、そして奥州十三湊;青森県が、その三津七湊である。姉ヶ津=安濃津であろうことは三重県民の私にもわかる。
私の脳裏では今日まで、ジュウサンコと呼ばれる十三湖の湖(汽水湖であるが)とトサミナトと呼ばれた十三湊の港が混同してあった。とくにアランブースさんの津軽で読んだ最終章にあったはずの、『・・・ううぅむ がいぃい』と宿の下を通りすぎる十三湖の蜆売りの声を読んで!から、響きがよく十三湖はトサミナトと自分で完結してあった。
隣が安濃津の津市=Z市でもあり湊について知りたく、&雨ですることもなく・・・お昼に小雨の中を傘さして散策はこなしたが・・・勢いでWEB検索を続けてみると、ママ引用、中国明代の歴史書『武備志』では、次の3港が「日本三津」「三箇の津(さんがのつ)」として記されている。安濃津、博多津、坊津 - 薩摩国川辺郡(鹿児島県南さつま市) とある。なるほど、中国からすれば薩摩が近い。大阪の堺湊とは離れるが、学生の頃の国鉄・関西線には下りで湊町行があった。なにか湊という文字が浮かび上がる。我が三重県の県庁所在地の津=Z市の港が三大津であることは以前にも知ったが、他の港が回船の泊り港として伝えられておるのに、なぜに太平洋寄りの安濃津が挙げられたのだろう。以下ウィキ;安濃津(あのうつ、あのつ、あののつ)は、伊勢国安濃郡(現在の三重県津市)に位置し、日本の古代から中世にかけて栄えた港湾。 漢字は安乃津・阿野津とも表記され、洞津(あなつ)とも言う。・・・近鉄の津新町駅そばにはプラザ洞津(ドウシン)がある。
引用を続ける;東海農政局関連の?あるHP>中勢用水農業水利事業によれば・・・安濃津; しかし今から500年あまり前、明応7年(1498)に起きた大地震によって壊滅的な被害を受けてその港湾機能を失ったとされています。
うぅん~長部さんのを僅か数ページ読んだだけで津軽に取り込まれる。今夜も布団の友とする。
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