ブログで太宰さん『失敗園』を取り上げて、秋はいぢわる・ずるい・・・とか記してある そのとおり、などしたり顔をしながら草ボウボウの我が畑を棚に揚げていた。昨日、ふと、不安になり自信なくなりWEB本願。すると『ア、秋』のなかの警句?であった。このように、なにもかも、思い込みだけで生きてて、都合がよい方へと捻じ曲げて生きてきた。
《短い文ですが、その一部を》
・・・秋ハ夏ト同時ニヤッテ来ル。と書いてある。
夏の中に、秋がこっそり隠れて、もはや来ているのであるが、人は、炎熱にだまされて、それを見破ることが出来ぬ。耳を澄まして注意をしていると、夏になると同時に、虫が鳴いているのだし、庭に気をくばって見ていると、桔梗の花も、夏になるとすぐ咲いているのを発見するし、蜻蛉だって、もともと夏の虫なんだし、柿も夏のうちにちゃんと実を結んでいるのだ。
秋は、ずるい悪魔だ。夏のうちに全部、身支度をととのえて、せせら笑ってしゃがんでいる。僕くらいの炯眼の詩人になると、それを見破ることができる。家の者が、夏をよろこび海へ行こうか、山へ行こうかなど、はしゃいで言っているのを見ると、ふびんに思う。もう秋が夏と一緒に忍び込んで来ているのに。秋は、根強い曲者である。
怪談ヨロシ。アンマ。モシ、モシ。
マネク、ススキ。アノ裏ニハキット墓地ガアリマス。
路問エバ、オンナ唖ナリ、枯野原。
よく意味のわからぬことが、いろいろ書いてある。何かのメモのつもりであろうが、僕自身にも書いた動機が、よくわからぬ。
窓外、庭ノ黒土ヲバサバサ這イズリマワッテイル醜キ秋ノ蝶ヲ見ル。並ハズレテ、タクマシキガ故ニ、死ナズ在リヌル。決シテ、ハカナキ態ニハ非ズ。と書かれてある。
これを書きこんだときは、私は大へん苦しかった。いつ書きこんだか、私は決して忘れない。けれども、今は言わない。
捨テラレタ海。と書かれてある。
秋の海水浴場に行ってみたことがありますか。なぎさに破れた絵日傘が打ち寄せられ、歓楽の跡、日の丸の提灯も捨てられ、かんざし、紙屑、レコオドの破片、牛乳の空瓶、海は薄赤く濁って、どたりどたりと浪打っていた。・・・
とても私の草だらけの畑どころではない。夫人の『失敗園』にしたところで草ボウボウを笑っているのでない。夏を身にまとった秋、私の田圃も出穂が始まる。
そんな私でも、まじめに図書館で借りだす。昨日は離れた分館まで(本館では貸し出し中?)『阪急電車』+ショートものを借りに軽トラドライブまでしてしまった。面白い というか、やはり、ばかばかしくなってきて急いで読み終えてごぜにゅうに返本ドライブ。これは本館でOK。人気本に頼ったら好くないでっせ と笑われる。で、枕もとでゆっくり読んでいるのが少し前に借りた『終わりの感覚(ブッカー賞)』と『梶井基次郎(ちくま日本文学全集)』あ、筒井康隆『おれに関する噂(古い本です)』も。しばし愉しみます。楽しめそうですが・・・
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ところで、ご本ばかりでありません。賢妻は一緒してくれない洋画のTV録画鑑賞?もあります。今日は草刈に疲れる前の昼下がりに、観るのは3度目くらいだから飛ばし飛ばしながら『夕日のガンマン』。作曲のエンニオ・モリコーネが最近亡くなったからの放映だろうな。C.イーストウッドよりも断然好いのがリーバンクリーフ(写真、夕陽のシルエットも彼)。学生時代に梅田で観た『西部悪人伝』からの隠れファンです。以前にも彼を称賛してブログしておるはず。
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