夏の頃、ビールに枝豆も好いなぁ と思いだし、ようやく畑に大豆を蒔く。緑の枝豆が欲しいなら春の仕事。無計画な生活を反省するばかりで、自分でも呆れておるから仕方がない。それでも10月の枝豆、娘の連れ合い仏C君が喜んで食してくれた。別居夫婦で、来日してはビール;A社500mL超絶乾燥缶だけの飲(食)生活の彼だから、意外な好みを知って私も嬉しい。
秋が進み引き抜いた豆木を軒先に干し、豆殻が割れて或いは殻を割って煮炊き用に豆を集めるつもり。今回、妻は味噌を造らないらしい。大豆の殻で思い出すのが『豆を煮るに豆殻を焚く(七歩詩)』。確かめると、曹操・魏の武帝 の二人の息子の文帝・曹丕 と弟・曹植とのうまくいかない関係を曹植が詠んだものとある。苛烈な兄の仕打ちを弟が嘆く詩で、頼朝と義経の関係を挙げた例もあった。
煮豆持作羹 漉鼓以為汁 萁在釜下燃
豆在釜中泣 本是同根生 相煎何太急
”豆を煮て濃いスープを作る 豆で作った調味料を濾こして味を調える
豆がらは釜の下で燃え 豆は釜の中で泣く
豆も豆がらも同じ根から育ったものなのに
豆がらは豆を煮るのにどうしてそんなに激しく煮るのか”
煮られる豆が弟で、盛んに燃え上がる豆殻が兄である。
この意味だったのか、なるほど と刮目する。正統な文意を理解せずに小市民な私の解は違って、今日まで以下のとおり思い込んでいた。単純なモノである。
「オッ、豆がある。おあつらえ向きに煮るには豆殻までもついている。早速、調理して美味しくいただこう」
欲深い第3者が、本来は仲の良い(同根の)二人を競い合わせ、それぞれの佳いところをすっかり吸い上げて自分のものとする と。ま、私の解釈は浅はかなもんです。先週から大根も漬物用にと干しております。深く耕さなかったためか、はたまたコンポストの塊にぶつかったかして不格好な大根も多かったです。