2016.4.22(金)
午後からは完全にフリータイムです(*^^*)
13世紀前半、タリンはデンマーク人によって築かれました。
1285年にハンザ同盟に加盟すると、バルト海の重要な交易地として発展しました。
13~14世紀には現在のような城塞都市が建設されました。
旧市街はわずか2.3kmです。
まず、城壁に上ってみました。
教会の壁に設置された募金箱にも長い歴史が刻まれています。
聖オレフ教会
14世紀ゴシック様式の教会で、尖塔は124mあります(当時では世界一の高さ)
上部の展望台までロープを伝いながら螺旋階段を上ります。
息が切れます^^;
聖オレフ教会からの風景は最高ですヾ(=^▽^=)ノ
旧市街のパノラマが素晴らしく美しく広がります
バルト海も美しい
聖オレフ教会の内部です。
マイアスモック・コフィック
倉業1864年、市内最古のカフェテリア。
エストニア最大のお菓子メーカーkalevが運営しています。
マジパンが有名です。
マジパンを作っているところが見られます。
マジパンはアーモンドの粉と蜂蜜などで作られ、100%天然色素で色づけされます。
南ヨーロッパからもたらされたマジパンは、エストニアで小さな食べられる芸術品に進化しました(*^^*)
素晴らしい
コーヒーと一緒に頂きました(*^^)v
長方形がマジパンですとっても美味しい
ヴィル門
セーターの壁
城壁沿いにセーターなどの手作りのニット製品が売られています
城壁沿いに歩いて行くとカタリーナの小路の入り口がありました
カタリーナの小路の入り口です
奥の方にカタリーナの小路が見えます
カタリーナ小路
ドミニコ会修道院(13世紀建立)の裏にあります
石畳の小道や石造家屋が中世のまま残っています
聖カトリーナ商業組合があり、工芸品の工房が集まっていた場所で、今も職人達が作品を造って販売しています
こちらの建物にもクレーンが付いています
旧市庁舎1371~1404年建設、ゴシック様式で小塔は65mです(横から見たところ)
キーク・イン・デ・クック
1475~1481年建造、高さ45mです
ネイツィトルン
キーク・イン・デ・クックの横に建っています
1370~1373年建造、中世には売春婦の牢獄でした
現在は博物館とカフェになっています
デンマーク王の庭園
トーンペアの丘の斜面、城壁と下町の間にあります
後ろに見える塔はキーク・イン・デ・クックとネイツィトルンです
ここはデンマーク国旗の起源といわれるところで、1219年6月ヴァルデンマー2世がエストニア軍との戦いで、空から降ってきて、勝利したと伝えられています。現在使用されている国旗の中で世界最古の国旗の一つといわれています。
2016.4.22(金)
エストニアの首都タリン市内観光(バルト三国⑥のつづきです)
トームベア城
高台にあり、かつてこの地方を納めていた領主の館です。城の一角には「のっぽのヘルマン」と呼ばれる高さ50.2メートルの塔が、15世紀の建造当時のまま残されています。現在は国会議事堂になっています。
トーンベアの展望台から旧市街の北側の眺め
右奥のひときわ高い塔が聖オレフ聖堂です
さらにその向こうはバルト海です
アレキサンドル・ネフスキー教会
大聖堂
マクス・マンテル
アーモンド売る屋台です
味見をすると美味しかったので買いました(熱いです)
美味しい
長靴の道と呼ばれています
ブラックヘッド組合
リトアニアのリガにも同じ組合がありました。
1597年に建造されたルネッサンス様式の建造物で、赤、緑、ゴールドの色みが美しいドアは1640年に作られました。
上部には荷物を釣り上げるクレーンが付いています。
聖オレフ教会
旧市街の北側、ライ通りとピック通りの間にある13~16世紀に建造されたゴシック様式の教会です。ここにはタリンで最も高い、高さ124メートルの尖塔があります。塔は夏季に開放され、上からは見事なタリンの町並みが望めます。
三人姉妹
ふとっちょマルガリータ
海からの攻撃を防衛するため、1511年から1530年に建造された塔です。この「ふとっちょマーマルガリータ」とは、かつてここに置かれていた大砲のこと。今ではタリンに残る唯一の外門となっており、現在は海洋博物館の建物として使用されています。
日本車見つけました
ラエコヤ広場
こちらのレストランで昼食です
昼食後は自由行動ですヾ(=^▽^=)ノ
2016.4.21
エストニア
ヨーロッパ北東部、バルト海に面する、最北のハンザ同盟都市であるタリンを首都とするバルト3国の一つです。中世の薫り漂うタリンの旧市街は、歴史都市としてユネスコ世界遺産に登録されています。
タリンに入る前に、トイレ休憩で寄ったレストラン
イクラやサーモンがたっぷり入ったオープンサンド
イクラサンド(€2)と~っても美味しい
コーヒー€1.5
トイレ使用料 €0.5
18:45 タリンのホテルに到着 夕食
20:30 添乗員とスーパーに行きました
日本語です(*^^*)
ちょっと宴会(*'▽')/
タリンで見かけた日本車
2016.4.22
エストニア・タリン市内観光
歌の祭典広場
「歌と踊りの祭典」はエストニアにとって、またエストニア人にとって昔から続く大切な伝統です。
第1回「歌の祭典」は1869年に、「踊りの祭典」は1934年に開催されました。現在「歌と踊りの祭典」は5年に一度開催されています。
1988年に開催された祭典では、ソ連統治下の中、禁じられていたエストニアの民族音楽をエストニア語で合唱しました。それが国民の機運を高め、エストニアを独立へと導きました。1991年8月20日、独立を達成。流血なしに独立を達成したこのイベントは、「歌う革命」とも呼ばれています。
2003年には、この伝統ある「歌と踊りの祭典」がユネスコの無形文化遺産に登録されました。 (エストニア観光情報局より)
バルト海
タリン市内が見えます(*^^*)
塔の多い街です
男性は、このツアーのタリンの通訳です
2016.4.21(木)
バルト三国 ④ の続きです
ブラックヘッドのギルド他、世界遺産リガの歴史地区の中、中世の面影を残す旧市街です
聖ペテロ教会堂
1209年建造 現在の建物は第二次世界大戦後に改築されたもの
塔の高さは123m
聖ヤコブ聖堂 1225年建立
塔の高さは80m
三人兄弟の家
15~18世紀の異なる建築様式の特徴を備えています
三人兄弟の右端の家の前で演奏をしていました
リガ大聖堂
高さ90mの小塔は1776年に再建された
猫の家
屋根の上に猫の彫刻が飾られています
ギルドの加入を拒否された裕福な商人が、ギルドの建物にお尻を向けた猫の彫刻を取り付けた。激怒したギルドは告訴し、裁判所命令で向きが変えられた、という逸話があります。
スウェーデン門 1698年建造
現像する唯一の城門です
窓がかわいいですね(*^^*)
リガ城
1330年、ドイツの騎士団の為に建造。
以後、スウェーデン、ロシアなどの支配者の居住となる。
現在は大統領官邸です。
歴史地区の一角で昼食(*^^*)
かわいいオブジェを2つ
一つはブレーメンの音楽隊、もう一つは不明です(笑)
リガはドイツ・ブレーメンと姉妹都市で、この銅像は聖ヨハネ教会の前にあります
ロバの前足をなでると願いがかなうというジンクスがあります
「百万本のバラの花」をリクエストしました
午後 リトアニアの首都リガから~エストニア首都タリンへ(309km)
国境の表記が、今までの物と、EUのと混在しています
2016.4/21(木)
ラトビア・リガ
リガは、13世紀初頭にドイツ人によってたてられた都です。
リガ歴史地区:世界遺産
19世紀末から20世紀初頭にかけてヨーロッパで花開いたアールヌーヴォー様式の建築群がリガの新市街に約800棟あるといわれてます。
ライオン、スフィンクスの石の彫刻、植物、人面を描いたカラー煉瓦や陶器タイルなど数と美しさに圧巻です。
共同住宅 アルベルタ通り 1904年
共同住宅 エリザベーテス通り 1903年
この斬新なデザインをした建築家は、当時「狂ったケーキ屋」と呼ばれていたそうです
アルベルタ通り12番地の博物館の美しい~螺旋階段
ヤクザというレストランです
中央市場
同じ建物が4棟並んでいます
独立の想いと背景を伝える自由記念碑
塔の上部で女神像ミルダは3つの星を掲げています(当時ラトビアには3つの地域がありました)
市庁舎広場
ブラックヘッドハウス
もとは、14世紀に建設されたギルドハウス。1941年、ドイツ軍に破壊されたが、2001年に復元された。
当時ギルドにまだ入れなかった若い商人達が組織したのがブラックヘッドで、聖モーリシャスを守護聖人としました。
入り口右側に旗をもって立っているのが聖モーリシャスです。だからブラックヘッドというようです。
バルト三国は、中世来、周辺国から侵略され続け、苦難の道を歩んできました。
リトアニアはロシア、ソ連と侵略され何度も独立を試みたが、その度に、襲撃され大量虐殺が行われてきました。
転機が訪れたのは、1985年、ゴルバチョフがソ連共産党書記長になり、ペレストロイカを推し進めてからです。
バルト三国で独立運動が活発になり、1990年に独立宣言後、リトアニアのビリニュスとラトビアのリガの主要施設が急激され、多数の死傷者が出ました。
その後、ソ連が崩壊しやっと悲願の独立となります。
十字架の丘はリトアニアの北部シャウレイにあります。
1831年、ロシアに対する蜂起の後、処刑流刑された人々のために立てられました。ソ連時代は立ち入り禁止となり、何度なぎ倒されても、民族と宗教の象徴として立て続けられ守られてきました。小さなものを含めると100万本以上といいます。
結婚式を挙げた一団が十字架を立てにやってきます。人生の節目に十字架を立てます。
2001年に世界文化遺産に登録されました。
2016.4/20
カウナスからシャウレイ(145km)へ
十字架の丘
緑の平原に突如十字架の林が現れてきます
手前の駐車場から通路を歩いていきます
この日は、晴れたりにわか雨が降ったりという不安定な天気でした
十字架とキリスト像、マリア像などが迎えてくれます
売店で、様々な十字架が売っており、私も願いを込めて立ててきました(€10)
リトアニアの十字架には、ちょっと変わった装飾があるものがあります。キリスト教が入ってくる前は自然崇拝をしていたということで、十字架の周りに太陽や植物をあしらったものが多く見られます。
ラトビアに入りました
ルンダーレ宮殿(バウスカ)
「バルトのベルサイユ宮殿」といわれ、当時ロシアの支配下にあり、サンクトペテルブルクのエルミタージュ宮殿の設計者が建てたという事です
宮殿内のレストランでの昼食は魚のソテーです
豪華絢爛です
壁も天井もすべての装飾が美しい
各部屋の隅に陶器の美しい箱があり気になっていました
暖房設備という事です
ここで火を焚いていたんですね
ルンダーレ宮殿を後にして、首都リガへ(85km)
リガで宿泊です
2016.4.19(火)
リトアニアの首都ビリニュスからトラカイへ(かつては首都でした)
湖上に浮かぶトラカイ城
14世紀に要塞として建てられました
トナカイ上観光後、すぐ近くのレストランで昼食です
名物のツェペリナイを頂きました
作り方:生のジャガイモと茹でたジャガイモをつぶして混ぜ合わせ、塩と卵、ジャガイモの澱粉を入れてこねる。丸い形にして豚のひき肉に塩コショウしたものを入れて包み30分くらい茹でる。クリームソースをかけて食べます。
お腹がいっぱいになります(*^^*)
トラカイからカウナスへ向かいました(85km)
沿道にはトヨタ、レクサス、ボルボなど有名自動車メーカーのショールーム?がずらり
カウナス到着
杉原記念館
第二次世界大戦下、日本の外交官・杉原千畝は6000人のユダヤ人にヴィザを発行し、命を救いました
こんな町の一角に記念館はあります
旧市庁舎
教会のように白くて素敵です
16世紀の商人の家
大聖堂内部
カウナス泊まりです
夕食前にスーパーへ行きました
途中、聖ミカエル教会に続く道を通りました
大きなスーパーで、モールのようになっていました
これはシャコティスというお菓子です
ケーキのように見えますが、硬さはクッキーです
お土産に輪切りにカットされたものを買ってきました
ここは専門店のようです
売り場にも並んでいました
こちらの方が安かったと思います
夕食です
夕食後にスーパーに行く途中に見かけた聖ミカエル教会に行きました
日没は21:00位という事で、まだ明るい(*^^*)
2016.4.18~25
“バルト三国・ヘルシンキ周遊8日間”のツアーに参加しました
利用航空会社はアエロフロート・ロシア航空です
そのため、往復ともモスクワ経由になりました
4/18 成田発 12:00
モスクワ着 16:10
モスクワ発 20:45
リトアニア(ヴィリニュス)着 22:20
4/19 リトアニアの首都・ヴィルニュスはネリス川沿いに築かれた街で、旧市街は1994年に世界文化遺産に登録されました
第二次世界大戦下、ユダヤ人に命のビザを発給した、杉原千畝さんのプレートです
早稲田大学が2001年に寄贈し、日本語の説明もあります
聖ペテロ・パウロ教会
バロック様式で、建築には7年の歳月がかけられた
内部はドーム型の天井と白い漆喰彫刻が美しい
死神の像
王冠をかぶった死神の足元にはたくさんの帽子が転がっています。
司祭の物、王の物、貴族の物、誰にでも死は平等に訪れるという事を表しています。
バスの中からトロリーバスを見かけました
車窓からゲティミナス城
大聖堂と鐘塔(53m)
鐘塔の土台部分は13世紀の城壁の一部で、ビリニュスで最も古い建造物の一つです
壁の一部を切り取って、内部が見えるようにしています
大聖堂の内部
人間の鎖の出発点
1989年8/23 ロシアからの独立求めるバルト3国200万人が、この鐘塔から北のエストニア・タリンまで600km手と手を繋ぎ人間の鎖を作り、世界に独立を訴えました
人間の鎖は(バルトの道)は2009年世界記憶遺産に登録されました
トヨタ車2台
結構日本の車を見かけます
ヴィリニュスの街並
聖アンナ聖堂
ナポレオンは「パリに持ち帰りノートルダム大聖堂の横に置きたい」と語ったというほど、赤レンガの美しいゴシック様式の聖堂です
リトアニアは手工芸が有名です
かぎ針編みでパッチワークされた木(近くのハンドクラフト店が巻きつけたもの)
この辺りは、ヴィリニュス大学のあるところで、大学構内にはさまざまな建築様式が残されています
夜明けの門
かつて、ビリニュスは城壁に囲まれ、10の城門が設けられていました
夜明けの門は現在も残る唯一の城門で、16世紀初頭、ルネサンス様式で建てられました
城門の上の礼拝堂には奇跡の聖母といわれる、金色の黒いマリア(マグラダのマリア)が祀られています
周辺国からも礼拝に訪れています
リトアニアは敬謙なカトリックの国です
ミサが行われていて中には入れませんでしたが、窓からちょっと見えました