お葬式のお話になります。
嫌な方はスルーしてください。
ハッピーバレンタインデーの日にこの話は無いなあと思い、今日の投稿です。
施設に入居している父の方が少し前にコロナに感染してしまい、翌日には母も感染してしまったことは前にも書きました。
心配しましたが二人とも大事には至らず回復し、検査でも陰性になり、また喧嘩をしながら同室で仲良く暮らしていたのです。
ところが父の方が10日程前から急に元気が無くなり怠さを訴えたことから併設のクリニックで診てもらったところ、軽い肺炎になっているとのことで再度入院。
兄から聞いて会いに行っては見ましたがこのご時世、面会どころか顔を見ることも叶わず、その後は電話で様子を聞くのみの日々。
数日たってご飯も食べられているし、早くばあちゃんの所へ返せと怒っているとのことで、退院させるとのこと。
完全に回復していたのかは疑問が残りますが迎えに行った兄が言うには、母の顔を見るなり互いに手を叩いて喜んでいたそうなので、まあ、良かったのかなと。
会いに行っても具合が悪いようには見えなかったので、それからは穏やかに暮しているんだろうなと思っていたところでしたが…
この前の土曜日、深夜12時過ぎに兄から電話があり、「親父が急に腹痛を訴えて看護師が処置をしている最中に急に心臓が止まったようだ。」と。
とりあえず兄も施設に行き確認をして電話をするとのことで待機していましたが、1時過ぎに「だめだった・・」との連絡があったのでした。
すでに心の準備はしていたので車を走らせて90分の夜道を急ぎました。
まさに日付が変わり97歳の誕生日の日の大往生。
悔やまれるのは、ただ、ただ、人生最後の数年間は狭い施設の中だけが自分たちの世界で、自由に散歩すらも許されず、子や孫との面会も禁止され、触れ合うこともできないままガラス越しに顔を見るだけであったことです。
この春には・・年が明けたら・・コロナが無くなれば・・自由に会えるからね、もう少し、あと少し我慢してとずっと言い続けてきましたが間に合いませんでした。
斎場で何年かぶりに触れた頬からはすでに硬く冷たい感触しか伝わって来ずに、自分の無力さを噛みしめる他はありませんでした。
車いすで父に寄りそう母も父の頭をなでながら「また生まれ変わったら一緒になるんだよ・・」と泣きじゃくりながら叫びます。
本当は両親とも隣同士の個室があったのですが、父の方が寂しかったらしく無理やり同じ部屋にベッドを入れて同居していました。
母はたまには一人でゆっくりしたいのに・・と良く愚痴をこぼしていましたが、夫婦と言うもの、いざ互いを失ってしまうと良かった思い出しか残らないのかもしれません。
綺麗な布団に寝かされた父。
何十年もの間、子供たちに剣道を教えてきた人だったので右手にはあちらへの道中の魔よけに木刀を持たせました。
家族葬でどこにも連絡しなかったのにも関わらず、すでに大人になっているかっての剣の教え子たちが何十人も弔いに来てくれました。
97歳、大往生。
葬儀の最後には皆でありがとうのことばと拍手で送ったのであります。