今回の衆議院やどこかの知事選挙もそうでしたが、好む好まないにも関わらずいろんな情報が乱れとんで来て目や耳に入ってきます。
ワイドショーでは各局ともそれぞれが異なる内容であるにも関わらず「これが事実!」とばかりに情報を垂れ流している。
受け取る方としては「いったい何が真実なんだろう?」と迷ってしまいますが、SNSなどで自分の考えに近い記事や動画を閲覧したりしていると、それが記録に残るので続けざまに同じ内容の動画ばかりがおすすめに上がってきます。
そして流れてきた同様の動画を見ているうちに「なるほど、なるほど、やっぱっりそうだったのか!」とさらにそっち側の考えに傾いていくのであります。
そうこうするうちに右へ左へと振り分けられた民意が異なる考え方の大きなグループに分かれて行き、いつのまにかお互いの非難合戦が始まっていく。
これは怖い事ですねぇ~。
情報を流すメディア側には他意はないのかも知れませんが(あると思うけど・・)、良い悪いに関わらず視聴率の取れそうな衝撃的な内容をひたすら流すことによって、テレビ、あるいはSNSだけで情報を得ていると悪い言葉で言えば知らず知らずに「洗脳」されているようなものなのではないかと・・・。
名探偵コナンは確かに言いました、「真実はいつもひとつ!」。
でもね、殺人事件と違って世の中のいろんな事はこれこそが絶対正しいなんてことは無い訳で・・
自分たちだけが正しいと信じて相手側をなんとしても論破しようと口角泡を飛ばして討論している光景は俯瞰で見たら可笑しくさえあるのである。
「僕はこう思うけれども、なるほど君の言うことも確かに納得できる。ではこうしてみたらどうだろうか?」なんて議論ができれば良いのですが。
どこかの大きな組織でもヤジばかりで相手を打ち負かそうとする「討論」ばかりやってますねえ。
ヤジを飛ばしたり居眠りしたりせずに、お互いを尊重した実のある「議論」を展開していって、この国をもっと住みやすく平和で安心できる国にしてほしいものであります。
同様に我々国民の方も物事を一方からだけ捉えるのではなく、あらゆる角度からじっくりと見渡して判断しなければいかんのでしょうなあ。
と、自分はできていないくせに偉そうに理想を呟いてみたオジサンなのであった。
兵庫の選挙も“何が真実か?”わからないままに拡散されて、“これが真実だたのか。”と受け止められて、そして選挙結果が“真実”にお墨付けをしたようになっています。
次点の方がSNSが削除要請で2度も使えない状況で選挙戦を戦ったというテレビのニュースがありました。これは真実でしょうから、なぜ、削除要請が認められたのか疑問ですよね。報道がありませんから不明です。
以上のような状況ですから“自分で考える”こと、“真実の吟味”は科学的な裏付けと発信者が誰かを大切にしています。
しかし結局、真実が見極められなくて「意見が言えない」という状況です。
同じようなご意見を書いておられたのでコメントしました。
スマホがなかった頃、せめてガラケーの頃まではホノボノとしたやり取りがあった気がします。
もう後戻りはできないでしょうから自分の身は自分でまもるしかないですね。もはや電話もメールも詐欺グループの便利な道具になってしまった。どっぷりしたアマアマの社会の中で日本人の民度がどんどん落ちて行く気がしますね。😔
ご返事ありがとうございました。
その辺に関しては諸説あるのは知っていましたが迫害の事実は変わらないし、説明の為に便宜上『先住民』としただけの話だったのですが、『デタラメを云うな!迫害の事実は無い!』と絡まれ面倒な思いをしました。
ボクは歴史の先生でも無いし過去の詳しい事は知らないので、自分が正しいとは思わないので『こう言う事実がありますよ』と自分の主張をするなら分かるのですが、迫害の証拠を出せ!出せないと云う事は迫害など無かったからだ!と一方的でした。
学校の授業でも習ったし、松浦武四郎も政府のやり方に憤慨していたし、遺骨を研究材料にしていたとか、同化政策…
もう十分過ぎる位、迫害の証拠はあるんですけどね😓
犬のように吠える相手に何を言っても仕方ないので、即ブロックしました。
『意見の違う人』と云うより、『頭の弱い人』なんだろうな…と思いました。
そういう人でもSNSを利用出来てしまうのが、昔から云うキ◯ガイに刃物なんだと思います。
ブログを始めて20年近くなりますが幸いそのようなオラオラコメントをもらった事は有りません。😁
こんなヘンテコな内容で緩~い絵を描いてるようなブログに関わりたくないのかもですね。
「自分が、自分だけが正しい」なんて考えは昔は淘汰されていたのでしょうが近頃は「行動も発言も自由であるべき」なんて何でも有りな方向に時代が進んでるような…
自由には必ず責任が伴うのだけれど単なるワガママと混同する若者が増えて来たようで怖いことです。😩