久々に1年以上は経っているが万字峠を走って来ました。
前回は夕張方面から下ったが今回は岩見沢方面から。
いつもはクルマの少ない道ですが紅葉ドライブのクルマが
たくさん走っていました。
万字炭鉱があった万字ですが、当初、 インディペンデント系の
朝吹家が開発した炭鉱で、石炭輸送のめどが立たず、1903年
メジャー系の北炭(北海道炭礦汽船株式会社)に事業を譲り、
1905年から本格的な採掘、操業がが始まったそうです。
万字炭鉱と言う名称は朝吹家の紋章が卍であったため
北炭が万字炭鉱と名付けたそうです。開発者の面子を立てた
のだと思われ、明治の人らしいです。
1905年というとちょうど日露戦争のときで、当時は日本は
富国強兵でイケイケの政策なので、エネルギー産業の
需要は高く、儲かったのでしょう。
面白いのは最初から岩見沢に国鉄万字線で石炭を運搬していたのかと
思っていたのですが、当初はなんと索道(リフトやロープウェイなど)で
夕張に山を超えて石炭を運搬していたのだそうです。
最初は夕張方面への鉄道敷設の計画で測量などを進めていたが
計画は挫折し、その後、岩見沢への鉄道敷設の工事が始まり
1914年に軽便鉄道(安価に建設された低規格鉄道)として
岩見沢に通じる万字軽便線が完成し、出炭量も増加していった
とのことです。1914年というと第一次世界大戦の始まった年で
これまた戦争の世紀20世紀を象徴しており、炭鉱も戦争とともに
発展して行ったと言えるのかもしれません。
万字炭鉱は坑道への地下水の出水が多く、坑道の水没が1976年
に閉山した直接の原因とのことです。
この万字峠は道幅が狭く、コーナーの途中で路面の凹凸が多く
難易度が高めの峠路です。札幌にも近いのでバイクは
かなり来ています。
(カメラ:GoPro)※写真はクリックで拡大します。
道道38号夕張岩見沢線。岩見沢市から夕張市へ。
良い天気ですが、今年は寒くなりのが早い感じで、例年の10月より風が冷たい。
ここが石勝線夕張支線の終着点夕張駅。線路がここで終わっている。☓の標識が立ってます。
右の建物はホテルマウントレースイ。
スペイン料理のレストランではありません。夕張駅舎です。
写真にエフェクトをかけているわけではGoProが急におかしくなってしまいました。
いろいろいじってみたけど直らず、買い換えなければならない感じです。
ソニーやビクターからもアクションカムが出ていますが、マウントなどがあるのでやはり
GoProがいいかもです。