北見まで行った帰りに帰り道の陸別町で一泊してみました。
泊まったのは道の駅併設の宿泊施設でシングルでも部屋は広く
きれいでバス・シャワートイレもついて都会のビジネスホテルより
ずっと良かったです。
日本一寒い町と行ってもマイナス30度程度なのでたいしたことない。
最近、パナソニックの寒冷地用エアコンのテレビCMでエアコンでも
暖房ができることが陸別町に実感と言って、ショウルームでの
実体験CMをやっていますが、平均気温が何日も最低気温が続く
ことが多い場所のようです。最低気温では旭川でのマイナス41度が
最低ですが1902年の気温なので、現在は陸別町が寒さでは日本一
と認定されているのです。
(カメラ:Canon5dM2MagicLantern2.3+TamronSP AF28-75mmF2.8)※クリックで写真拡大します。
ネットでこの町の歴史について調べると非常に興味深い内容で
町開拓の先駆者のひとりである関 寛斎という人は千葉出身の
蘭方医だったが1902(明治35)年、72歳の時に陸別町の斗満地区に
入植し、自作農育成を目指したとのことです。
今も町の診療所は関寛斎診療所といいます。
地主制度による小作農ではなく自作農を目指したということはなんのことかというと
地主制度とは、要するに地主というお金持ちの農家が、小作人という貧乏人の
農民に土地を貸して耕作させて生産物をほとんど年貢や税金のかたちで
取り上げるシステムでロシアの農奴 やヨーロッでの荘園領主とかと
同じような搾取システムです。日本では太平洋戦争後のGHQの政策で
廃止されたのですがそれを50年も前に実現しようとしていたんですね。
関寛斎はトルストイ思想に共鳴していたとのことですが、伯爵家の四男であった
トルストイも実際にアレクサンドル2世の1861年、農奴解放令の前に農奴解放を
試みています。アレクサンドル2世とトルストイの農奴開放では性質が異なり
支配層から政治的な近代化(ヨーロッパの資本主義国家を倣って)を目指しての
アレクサンドル2世の農奴開放とキリスト教的倫理観に基づく人道的な意味での
トルストイの農奴開放との違いがあります。
ロシア革命やマルクス主義の台頭はこの時代のあとのことでトルストイの思想が
ロシア革命に影響を与えているのは確実と思われます。日本では多くの文人や
宮沢賢治も影響を受けていますがニセコ町で1922年、農場開放を行った有島武郎も
同じような思想を基に農民の権利を考えたのでしょう。有島もキリスト教に影響を受けています。
しかしこのような『上からの開放』的な発想は実際にはあまり搾取されている農民や
奴隷にはすぐには理解されず、またはかえって不満を助長する結果になり、多くは
単発的に終わっています。
くしくも関寛斎は1912年、82歳で服毒自殺、有島武郎も45歳で心中自殺しています。
また、トルストイは1910年、家族と不和などから家出をして鉄道での移動中に
具合が悪くなり小駅で途中下車し、そのまま1週間後に肺炎で死亡しています。
関と同じく82歳でした。
そして実際に搾取されていた農奴・奴隷側に火が付くと、革命や暴力的な運動となる傾向が
強く、結果的にはソ連や中国という強大な「共産主義国家」と名前だけ共産というの
王政ではない絶対主義国家を生み出していきました。
現代でも構図は実際には変わらず、イスラム原理主義やISISといういびつな
暴力革命体制が国際金融資本という強大な勝ち組勢力に対して、暴力行動を
起こしているとも言え、そのような過激な行動に人々を向かわせるのは具体的には
宗教などを利用した洗脳や煽動ですが、基本的には人々の知識不足ということが言える
かと思います。
話はぶっとびましたがいつも気になる、開拓民(和人)と先住民族との関係ですが、
陸別町史には関寛斎が「先住していたアイヌの人たちの保護を実践」と記載されており
北海道の他の地域でも先住民についての記述はほとんどないことから考えると
関寛斎の入植した斗満地区にも先住民族の居住があった可能性は十分考えられ
小作人に先住民族が多くいたことも考えられますが、記録はなくタイムマシンでもなければ
実証は不可能です。
それでも、関寛斎のこのような先進的な考え方は徐々に子々孫々に浸透し、今の陸別町民の
独立心につながっているのでしょう。たった人口2700人の小さな町で本格的な日本を代表する
一般公開天文台があり、WRCラリーが走り、本物のディーゼル機関車を20000円で運転できるなど、
いろいろ面白いことをやっている町です。
金があったらこれやりたい⇒銀河の森コテージ村オーナー
115センチの反射望遠鏡とはかなり期待できますが、泊まった日の夜は全く思いつかす疲れて
ベッドにうたた寝し起きたら夜の11時でした。
名古屋大学と国立環境研究所の観測所があり、大気やオーロラの研究をしています。
本格的な天文台だったのだ。
残念ながら開館は午後一時からで中に入らないで帰ってきました。
天文台は高台にあり、冬の夜空には天の川とか肉眼でもはっきり見えるでしょうね。