私のプロフィールを載せます。
関心のある方は、ぜひお読みください。
魂の遍歴
1958年、日本3大豪雪地帯 山形県尾花沢市に生まれる。
6歳のとき、故郷に来た米国人宣教師フォスター先生の自宅へ行き、生でスピリチュアル(ゴスペル)ソングを聴く。
15歳の時、プロテスタント派教会で洗礼を受け、ゴスペルを作詞作曲し歌い始める。
教会では聖歌隊、高校では合唱部で歌を磨き始める。
日本ルーテル神学大学(現ルーテル学院大学)に入学。キリスト教社会福祉を学ぶ。
同時に聖歌隊やゴスペルバンド(リードボーカル)を結成し、国内または韓国の教会等で歌う。
在学中、2度にわたる精神科病棟への入院を経験する。
卒業後は知的障害児通園施設や高齢者福祉施設等に勤務しながら音楽活動を継続。
1986年、ゴスペルの全国大会に出場。(参加賞) 3人の即席バンドでした。
1989年、フォスター宣教師が亡くなったため、米国フィラデルフィアの出身教会へ宣教の報告と御礼を述べるために単身渡米。5ヶ所の黒人教会等でメッセージを述べ、オリジナル曲(愛の奇蹟)を歌う。
1992年から1999年まで計5回に渡り宣教師の追悼コンサートを東京、仙台、山形、尾花沢などで開催(プロデュース)。 フィラデルフィア在住の日本人声楽家と黒人ピアニストを招待。
1999年に自身のコンサートを行なった後、一切の音楽活動を停止。
「神との対話」を読み、教会から距離を置くようになる(組織宗教からの離脱)。
2000年、アセンションを知り衝撃を受ける。
アセンションすることを宣言。またアセンションに貢献することも同時に宣言。
2004年、認知症の人のための寄り合い所(小規模多機能ホームみちしるべ)を設立。(独立起業)
2008年、音楽活動を再開。(魂の歌をテーマを中心に再開)
肉、魚、乳製品を食べることをやめビーガンとなる。
2009年3月 小規模多機能ホームみちしるべを閉鎖。
2009年7月 富士山麓での神事に参加。以後、浄霊なども行うようになる。
2009年8月 ヒーリングルームみちしるべをオープン。
【写真】イエス様の愛を思ってつくったオリジナル曲「愛の奇蹟」を歌っているところ。
ヒーラーとしての歩み
2008年5月 プラニックヒーリング 基礎編修了
2008年6月 プラニックヒーリング 上級編修了
2008年7月 プラニックヒーリング サイコセラピー修了
2008年9月 プラニックヒーリング 霊的自己防御修了
2008年9月 プラニックヒーリング 魂の自己実現のための瞑想法修了
手を使って、“プラーナ”と呼ばれる生命エネルギーを操作することによって、人のエネルギー体すなわちオーラに、調和とバランスをもたらします。身体にはいっさい触れません。「エネルギー体が調整されれば、肉体の病気も、遅かれ早かれ治癒していく」というのが、プラニック・ヒーリングにおける基本的な原理です。
しかし私の場合、このヒーリングを5次元のピラミッドの中で行ないます。アーキエンジェルマイケルに5次元のピラミッドを使わしていただくことの許可をいただき、その中で全身のチャクラの浄化と高次元の光(プラーナ)の充填をいたします。プラーナは白色の他に、紫、オレンジ、黄色、青、ピンク、緑など使います。とりわけ、エレクトリック紫、ホワイトゴールド、レインボーを使って、各チャクラへ光を照射します。
ヒーリングを終えたあと、ヒーリング中に見えた過去世や天使からのメッセージを共に分かち合いながらお伝えします。
正確に言うと、私の場合は、すでにプラニックヒーリグを逸脱しているように思います。
教科書に書かれていないことをドンドンやっています。何ヒーリングと言うのでしょうね。
<趣味>
音楽(作詞作曲、ギター、ピアノ、合唱、オペラ、ゴスペル、カラオケ)
読書(愛読書:生命の贈り物、運命の脚本を書く、終わりなき愛、奇跡のコース)
執筆(ノンフィクションものを執筆 代表作:遙かなるフィラデルフィア)
畑 (農業体験農園にて野菜作りを勉強中)
写真(空や雲や風景を撮影すること)
雪 (雪のスクリーンで作った野外映画会・雪中幻燈会メンバー)
その他(絵画鑑賞、神社巡り、温泉、ドライヴ)
好きな歌手(クイーン、徳永英明、ビギン、ドリカム)
関心のある方は、ぜひお読みください。
魂の遍歴
1958年、日本3大豪雪地帯 山形県尾花沢市に生まれる。
6歳のとき、故郷に来た米国人宣教師フォスター先生の自宅へ行き、生でスピリチュアル(ゴスペル)ソングを聴く。
15歳の時、プロテスタント派教会で洗礼を受け、ゴスペルを作詞作曲し歌い始める。
教会では聖歌隊、高校では合唱部で歌を磨き始める。
日本ルーテル神学大学(現ルーテル学院大学)に入学。キリスト教社会福祉を学ぶ。
同時に聖歌隊やゴスペルバンド(リードボーカル)を結成し、国内または韓国の教会等で歌う。
在学中、2度にわたる精神科病棟への入院を経験する。
卒業後は知的障害児通園施設や高齢者福祉施設等に勤務しながら音楽活動を継続。
1986年、ゴスペルの全国大会に出場。(参加賞) 3人の即席バンドでした。
1989年、フォスター宣教師が亡くなったため、米国フィラデルフィアの出身教会へ宣教の報告と御礼を述べるために単身渡米。5ヶ所の黒人教会等でメッセージを述べ、オリジナル曲(愛の奇蹟)を歌う。
1992年から1999年まで計5回に渡り宣教師の追悼コンサートを東京、仙台、山形、尾花沢などで開催(プロデュース)。 フィラデルフィア在住の日本人声楽家と黒人ピアニストを招待。
1999年に自身のコンサートを行なった後、一切の音楽活動を停止。
「神との対話」を読み、教会から距離を置くようになる(組織宗教からの離脱)。
2000年、アセンションを知り衝撃を受ける。
アセンションすることを宣言。またアセンションに貢献することも同時に宣言。
2004年、認知症の人のための寄り合い所(小規模多機能ホームみちしるべ)を設立。(独立起業)
2008年、音楽活動を再開。(魂の歌をテーマを中心に再開)
肉、魚、乳製品を食べることをやめビーガンとなる。
2009年3月 小規模多機能ホームみちしるべを閉鎖。
2009年7月 富士山麓での神事に参加。以後、浄霊なども行うようになる。
2009年8月 ヒーリングルームみちしるべをオープン。
【写真】イエス様の愛を思ってつくったオリジナル曲「愛の奇蹟」を歌っているところ。
ヒーラーとしての歩み
2008年5月 プラニックヒーリング 基礎編修了
2008年6月 プラニックヒーリング 上級編修了
2008年7月 プラニックヒーリング サイコセラピー修了
2008年9月 プラニックヒーリング 霊的自己防御修了
2008年9月 プラニックヒーリング 魂の自己実現のための瞑想法修了
手を使って、“プラーナ”と呼ばれる生命エネルギーを操作することによって、人のエネルギー体すなわちオーラに、調和とバランスをもたらします。身体にはいっさい触れません。「エネルギー体が調整されれば、肉体の病気も、遅かれ早かれ治癒していく」というのが、プラニック・ヒーリングにおける基本的な原理です。
しかし私の場合、このヒーリングを5次元のピラミッドの中で行ないます。アーキエンジェルマイケルに5次元のピラミッドを使わしていただくことの許可をいただき、その中で全身のチャクラの浄化と高次元の光(プラーナ)の充填をいたします。プラーナは白色の他に、紫、オレンジ、黄色、青、ピンク、緑など使います。とりわけ、エレクトリック紫、ホワイトゴールド、レインボーを使って、各チャクラへ光を照射します。
ヒーリングを終えたあと、ヒーリング中に見えた過去世や天使からのメッセージを共に分かち合いながらお伝えします。
正確に言うと、私の場合は、すでにプラニックヒーリグを逸脱しているように思います。
教科書に書かれていないことをドンドンやっています。何ヒーリングと言うのでしょうね。
<趣味>
音楽(作詞作曲、ギター、ピアノ、合唱、オペラ、ゴスペル、カラオケ)
読書(愛読書:生命の贈り物、運命の脚本を書く、終わりなき愛、奇跡のコース)
執筆(ノンフィクションものを執筆 代表作:遙かなるフィラデルフィア)
畑 (農業体験農園にて野菜作りを勉強中)
写真(空や雲や風景を撮影すること)
雪 (雪のスクリーンで作った野外映画会・雪中幻燈会メンバー)
その他(絵画鑑賞、神社巡り、温泉、ドライヴ)
好きな歌手(クイーン、徳永英明、ビギン、ドリカム)