光のみちしるべ ~愛だけが現実~

私たちは皆、神様の子供。
内なる神の分光を輝かせましょう。
5次元の光のピラミッドがあなたを待っています。

夢の中ではすでに完成!

2009年09月20日 10時37分35秒 | 認知症介護
私は今、5年間経営してきたみちしるべを本にしようと、
少しずつ執筆を進めています。
ですが、なかなか進まずPCの前で眠りこけています。

ところが、1週間ぐらい前から夢の中で執筆している自分を発見しました。
(何か微妙な表現ですが‥)
その夢の中の自分はドンドンと書き続け、
3日前に執筆を完成させてしまいました。
しかも、その横には出版社の人もいて、
一緒に完成を喜んでくれていました。
そして、何と2日前の夢では本になっていました。

夢の中ではスーパーマンみたいな自分なのに、
3次元の現実世界では一向にノロノロと進んでいません。
でも、夢の中の自分はスイスイと進んでいますから、
夢の中の自分に追いつき追い越せです。

そういうわけで、今日も執筆に専念します。

888の衝撃(私がみちしるべを閉じた訳)ー3-

2009年09月13日 08時31分37秒 | スピリチャル
この「888の衝撃」はとてもスピリチュアル(霊的)な文章ですので、受け容れられない方はどうぞスルーしてくださいませ。



ホテルを出ると雨は降り続いていました。
私は小走りで地下鉄半蔵門駅の入口に向かっていました。

(ここはどこ?地球なの?他の星?)

何故か不思議な感覚にとらわれていました。
たった今受けたスピリチュアルカウンセリングを思い起こしながら‥。



「鈴木さん、天使になりませんか?」
思いがけない言葉に不覚にも動揺していました。

(オレが天使に?どうやって天使になるというんだ?)

「あなたには龍神がついています!」
とさらにたたみ込むように言われ、
私の頭の中はちょっとしたパニック状態になっていました。

そして、カウンセラーの導きに従って瞑想に入り、
7次元まで上昇し、
アーキエンジェル・マイケル(大天使ミカエル)から
美しい玉をいただき胸にしまいました。

それを受け取るか否かは私の選択の自由でしたが、
私をそれを受け取りました。
受け取ったということは生まれ変わったことを意味し、
(つまりここで輪廻したことを意味し)、
私がライト・ワーカーとして生きていくことを意味していました。

「仲間と話をするのは楽しいわ~」とMさんは嬉しそうでした。

(いつからオレはあんたの仲間になったんだよ?)
と苦笑しつつも、
自分に向かって開け放たれた大きな扉を感じていました。

「開門!」
と号令のような声が聞こえました。

それは宇宙空間にある大いなる門が開いて、
そこから凄まじいほどの大量の光が流れ出て、
私に向かって一直線に放射されているようでした。

(この胸にずっしりと感じる重厚な感じは何だろう?)

それはアーキエンジェル・マイケルからいただた玉でした。

(これから私はどうなっていくのか?)
との一抹の不安を覚えつつも、

「みちしるべのかつてのご利用者様たちが、
 あなたを囲んで手を合わせ拝み、
 あなたを押し上げています」

との言葉に力を与えられていました。

その言葉が何度も何度も耳元でこだまし、
大波のように押し寄せて来るエネルギーを感じていました。

そして、みちしるべを来年('09)3月で閉鎖することを、
静かに心に決めたのでした。

それから先のことは何も決まっておりません。
行く先を知らずして新しき航海に出ることを決めたのでした。

天使たちが祝福するかのように私を丸く取り囲み、
手をつないでダンスしているようでした。


つづく

ピーちゃん、天国へ‥そして妖精となる

2009年09月07日 23時31分15秒 | プロフェッショナル

5年前、みちしるべ(認知症デイサービス)にやって来たセキセイインコ。
まだ名前はありませんでした。

瞬く間に、ご利用者さんたちのアイドルとなり、人気者になりました。

名前は、「ピーちゃん」と名付けられ、
みんなから「ピーちゃん、ピーちゃん」と親しまれました。

見学に来られた102歳の女性の方が、
このピーちゃんを見て利用を決めたことがありました。

カゴに指を入れると男性ご利用者さんが、
「やられちゃうよ」とピーちゃんを一目おいていました。

そんなこんなでご利用者さんも、スタッフたちをも、
いつも心を癒してくれました。

 

でも‥、ご利用者さんもスタッフも全員帰ってからは、
私と二人だけの時間過ごしました。

疲れきって大の字になって伸びていると、
突然私を励ますかのように、「ピー!、ピー!」と鳴いてカツを入れられたり、
そうかと思うと、止まり木の上で愛嬌よく左右に身体をふって踊ってくれました。

今年の3月末でみちしるべを店じまいし、
この新しいマンションに引っ越してきました。

そして、8月9日の夜、容態が急変し、
夜間の動物病院へ緊急で駆け込みました。
一時は良くなって帰宅しても大丈夫とのことだったのですが、
マンションに到着し、部屋に入るなり亡くなりました。

あっという間の出来事でした。
玄関に入ったときはまだ生きておりました。
部屋に入ってもまだ生きておりました。
自分の足で立っておりました。

それが、数秒後には両足を後ろに伸ばして、
硬くなっておりました。

「ピーちゃん、家に帰りたかったから、元気になったように振舞ったんだね」

そうして、何も言葉にならないまま、しばらくピーちゃんを見詰めていました。


翌日、動物霊園で火葬し、骨を骨壷に入れて帰宅しました。
みちしるべを見守るお役目が済んで、
新しい住居も見届けて天に還って行かれたんだね。


私の目には、ピーちゃんがカワイイ妖精になって、
空を飛んでゆく姿が見えました。
光に包まれて仲間たちのもとへ還って行かれました。

ありがとう、ピーちゃん。
ありがとう、ピーちゃん。
これからも天から見守っていてね。

 


ピーちゃんが亡くなったことは、なかなかこのブログに書けませんでした。
でも、ようやく掲載する気持ちになりました。
ここにつつしんで皆様にご報告申し上げます。


動機付けの話(デイ利用につなげるために)3

2009年09月06日 16時53分59秒 | 認知症介護
 順調にデイ利用が始まったかのように見えるYさんでありましたが、一番の難題は朝お迎えにいっても、なかなか送迎車に乗ってくれないことでした。

「今日は新聞社の人が打ち合わせに来る」
「今日は絵を描きに出掛ける」
などなどの理由をつけては迎えに行ったスタッフを手玉にとっていました。
駐車場で待っている私は、最終的にスタッフがギブアップして、時間切れで本人を乗せないでみちしるべに戻ることもありました。

 しかし、毎回毎回そういうわけに行きませんので、いつの頃からか私が直接迎えに行くようになりました。Yさんは、「おお、社長が迎えに来たか!」と喜んで乗車してくれましたが、だんだん、私でもテーブルから立ち上がらなくなりました。

それで私なりの乗車必勝法を考え付きました。一見、行き当たりバッタリの方法に見えますが、私なりに計算しつくされた必勝法です。


Yさん(奥様と二人暮らし)の朝のお迎え 乗車必勝法

1. 送迎車(ムーヴ)を車庫に入れます。
2.門のインターフォンを鳴らします。
3.玄関のドアを開けます。施錠されている場合は、奥様が鍵を開けに玄関まで来られます。
4.玄関に入ったら、「おはようございます!みちしるべです!お迎えに上がりました!」と、奥の部屋にいるYさんに聞こえるように、明るく大きな声で挨拶します。
5.Yさんの靴と靴ベラをあらかじめ揃えてから、家の中にあがります。
6.Yさんの顔を確認しながら、部屋の手前でもう一度、「Yさ~ん、おはようございます。お迎えに上がりました!」と明るく大きな声で挨拶します。奥様にも挨拶します。(ヘルパーさんにも)
7.挨拶しながら、素早く服装の確認をします。(メガネ、ズボン、帽子、上着の着用状況)冬はコタツに入っているので、ズボンを穿いているかいないか分らないときがあります。必要な衣類があったときは、即ヘルパーさんに出してもらいます。
8.電話台の引き出しから連絡帳を、テーブル下からお荷物のバッグを取り出し、玄関に置きます。
9.それからYさんのいる部屋の中に入ります。私がお迎えに行ったときは、Yさん自らお茶を入れてくれます(奥様もお茶を入れてくださいます)。その合間をぬって、大音量のテレビの音量を少し下げお話ししやすくします。
11.椅子に座ってお茶を飲みながら、朝のお薬を飲んでいただきます。「元気の出る薬ですよ、どうぞ!」と手の平に載せると、すぐ飲んでくださいます。
12.お茶を飲んでお喋りしながら、テレビの時代劇がコマーシャルになるタイミングを見計らって、「外にお迎えの車が来たか見てきますね」と一旦荷物を持って車庫に行きます。右後部座席のドアを開いたままにして、すぐ家に戻ります。(*ここで外に出て私の姿を消すのは、ここまでの流れを一旦リセットし、次の行動(乗車)に移しやすくするため)
13.「車が来ましたよ!」と、さらに明るく大きな声で家の中に戻ってYさんに報告します。そうすると、「おぅ、そうか」と立ち上がってくれますので、そのまま真っ直ぐ玄関まで行きます。
14.外に出ると、送迎車のドアが開いているのが見えますので、Yさんは車を指差しながら「おっ、もう車が来てたわ」と、開いてる右後部ドアからいそいそと乗車してくれます。
15.車が道路に出る時、ヘルパーさんが車が来ないかを見てくれて、「オーライ、オーライ」と誘導してくれます。奥様も門まで出て来られていますので、お二人に見送られて「行って来ます!」と手を振りながら発車します。車中では運転に支障のない程度にずっと話し続けます。



 とまあ、こんな調子でした。ケアマネさんにこの必勝法をコピーしてお渡しすると、「こんなに緻密に計算して声かけしているのですか?!」と大変驚かれておりました。

 でも、これはマニュアルではありません。ここに想定しないことは毎回のように起きます。その度に機転をきかせなくてはなりません。時には2階のお部屋で寝ている時もありました。そんなときも、私はあきらめず、Yさんをみちしるべまでお連れ致しました。

動機付けの話(デイ利用につなげるために)2

2009年09月06日 14時48分44秒 | 認知症介護

 その日はすぐにやって来ました。みちしるべのパンフの表紙の絵を描くということをYさんは忘れておりませんでした。お迎えに行くと、「ああ、そうだったなぁ」とすぐに送迎車に乗り込んでくださいました。画用紙はこちらで準備していましたので、鉛筆と絵の具の一式をご持参されました。

 そして、みちしるべに到着すると、すぐに玄関外の道路に出られて、絵の構図を検討し始められました。8月の暑い日でしたので、スタッフが日傘をさして、一心不乱に描き始めたのでした。


そして、デッサンが終わると家の中に入り、絵の具で色つけが始まりました。途中でどんな色だったのか忘れると、何度も玄関の外に出られ、微妙な色の変化を確認して、再び家の中に入り描き始められました。

そして、出来上がったのがこの絵です。


 見事な絵でした。しかし、Yさんはまだ完成ではないと言いました。これから少しずつ筆を加えることはあろうかと言っておりました。(さすがプロです!)

その後はせっかくですので、お昼ご飯を召し上がっていただいて、それから帰宅されました。

 ケアマネさんは体験利用は大成功だと喜んでおりました。来週もお誘いすると、喜んで来て下さいました。そのときは、山形名物の“芋煮会”をしますとお伝えしました。

そのときお酒はふるまいませんでしたが、芋煮をたらふく食べると自ら立って踊りだされました。私も一緒に踊って、スタッフたちに手拍子と唄をうたってもらいました。とても賑やかな宴会のひとときとなりました。

  

こうしてYさんのデイ利用は順調にスタートしたのでした。完成したパンフレットを見て頂き、ご本人およびご長男さんに心からお礼を申し上げました。

 

まとめ

1.ケアマネさんからの情報を正確に聴き、分析する。
  しかし、ケアマネさんからの情報だけを鵜呑みにしない。
2.本人の生まれ故郷や仕事、趣味志向を聴く。
3.初訪問時にアセスメントをしない。ただ仕事の依頼に専念する。
4.相手が了解すれば日時のお約束までする。
5.初利用日以降の次の一手を考えておく。

 ケアマネさんからの情報は得てして一方的な見方であったり、偏った情報であったりします。ですので、あくまでも一情報として留めておき、どんな人なのかは自分が始めて会ったときの感性に委ねます。「Yさんはこういう人です」という決めつけが強ければ強いほど、ケアマネさんの主観が強くなっているので、すべての情報を鵜呑みにしないことが大切です。

 初めて訪問するときに、デイサービスの説明やアセスメント票に従ってお話しすると、すぐに「帰ってくれ」となりかねないので、いっさいアセスメントしませんでした。ただ言葉にしなくとも、ご本人からの返答や仕草、服装の様子等でだいたいの状況を把握することはできます。

 最初の目的が達成されることを見込んで、次の一手を考えておきます。(この場合は芋煮会)そうしないと、せっかくうまくいったことを次につなげられません。


動機付けの話(デイ利用につなげるために)1 

2009年09月06日 09時41分25秒 | 認知症介護
 「888の衝撃」をちょっとお休みして、認知症ケアの話に戻ります。


 認知症の人の中には、なかなかデイサービス利用につなげられず、手をこまねいておられるケアマネさんがおります。それを利用につなげるためには、デイサービス側はどう対応するのか、これからの話はうまく利用につなげられたひとつの例です。ご本人に対して、どのような動機付けをするのかがとても重要なポイントになります。お読みいただければ幸いです。


                      


 みちしるべがスタートして間もない頃、あるケアマネさんが大変困った様子で相談に来られました。ご自分の担当(80歳代、男性 Yさん)の方をデイサービス利用ににつなげられなくて、途方にくれている様子でした。いくつかのデイサービスの見学に行っても、「あんなボケた人たちのところへ行く気なんかないよ」と、途中で帰ってしまい、どうしてもデイサービスにつなげられないということでした。

 お話しを聴いたあと、とにもかくにもご本人に会いに行くことにしました。訪問して大変驚きました。家中にとても素晴らしい水彩画が飾られていました。ご本人はプロの画家であり、認知症の症状が出ても描き続けられていました。しかし、散歩に出られると家に帰って来られなくなり、捜索願いが出されることもありました。

 たくさんの絵を見ていると、その中の一枚にあっと驚くものがありました。それは故郷の母の実家の風景画でした。私の少年時代に何度も母の実家に遊びに行ったときに見た風景でした。私はそのあまりの出来栄えに、ただ立ち尽くして感動していました。

 その私の姿を見た男性Yさんは、嬉しそうに「まあ、お茶でも飲みなさいよ」と言ってくださいました。聴けば、偶然にもYさんと私は同じ故郷の生まれでした。小学校、中学校の大先輩でした。〇〇屋さんの◇◇さんは元気なのか?とか、共通の知っているお名前おも登場しました。私は茶の間でアセスメントの話を始めるのでもなく、私はただただ感動して、「パンフレットの表紙の絵を描いてくれませんか?」とお願いしたのでした。

 みちしるべの話やデイサービスの話など一切しませんでした。みちしるべのパンフの表紙絵は、みちしるべの家の玄関を描いてほしいと話し、ぜひ送り迎えの車を出しますから一度絵を描きに来ていただきいとお願いしました。Yさんは二つ返事で了解してくださり、話しがまとまりました。

 話しがまとまったら、なるべく早い日のほうがいいので、同席したご家族(長男さん)とケアマネさんの同意を得て、絵を描きに来てくださる日を来ました。形としては絵の仕事をしに来ることになりますが、ケアマネさんの立場としては半日の体験利用ということになりました。

 Yさんは「ガハハハ!」と笑いながら上機嫌の様子でした。同郷の人が絵の仕事をお願いに来たと、大変喜んでおられました。


つづく

888の衝撃(私がみちしるべを閉じた訳)ー2-

2009年09月05日 17時14分17秒 | スピリチャル
昨日(9/4)の日記からの続きです。スピリチュラル的(霊的)な内容ですので、受け容れられないようでしたら、どうかスルーしてくださいませ。これもまた私の本質の一部です。



「あなたのまわりに、亡くなられたご利用者様たちが手を合わせて拝んでおられますよ。その人たちは、あなたの腰から上にあがって来ませんね。あなたをぐるっと取り囲んで拝んでいます。まるであなたは観音様ですね」

「‥‥」

もう驚きのあまり言葉が出てきません。

「その亡くなられた方たちは未成仏霊ということではなく、すでに天に上がっておられる方々です。その方々があなたを押し上げようと、天国から手を合わせて拝んでおられるのです。ですから、みちしるべが終焉に向かう流れが起きているのは当然のことなのです」

(何ということ!)

突然、目頭が熱くなってくるのを感じていました。私を拝んでおられるご利用者さんたちが誰であるのか、すぐにわかったからです。一人ひとりの顔が浮かんできました。どなたも皆懐かしい方々です。忘れるはずがありません。皆さんによってみちしるべは守られ、支えられ、成長することができたのですから。

(良かった。皆さん、天に上がっているんだ)
ほっとした気持ちになりました。

同時に、(私という人間は、いったい何者なのか?みちしるべを終了させて、次は何をしようというのか?)と思いました。しかし、はっと我に返り、こう言いました。

「でも、みちしるべを閉じてしまったら、現在のご利用者さんは何処へ行くというのですか?他のデイサービスで利用を断られて、行くところがなく、みちしるべに来てくれた方々ばかりなんですよ」

「それは執着というものです」

「執着‥?これは執着なんですか?」

ピシャリと執着だと言われ、再び頭の中は混乱していました。自分の使命だと思って始めたみちしるべなのに、この使命は執着だったなのか?いや、そんなはずはない。確かにこれは私の使命だったのだ。しかし、この使命はもう果たしたということなのだろうか。

すると突然、「みちしるべは大成功しました」という声が心の内に聞こえてきました。

「みちしるべの偉業は、こちらでは大喝采の拍手が鳴り響いております」

誰が私に話しかけているのか?それは天使たちのような気がしました。拍手している方々の中に、ご利用者さんたちの顔も見えました。

(天では称賛の拍手が送られている)
そう感じました。

決して、巨富の富を得たわけではありません。多くの事業所をつくったわけではありません。みちしるべの認知症ケアが全国に響き渡ったわけでもありません。築四十年の古民家を使った小さな事業所にしか過ぎません。でも、天から見れば、称賛に値するものがあったのでしょう。

(私は十分にやり遂げたということなのか?)

(まだ5年にも満たないのに、みちしるべはもう十分に使命を果たしたということなのか?)

そんな思いを堂々巡りのように繰り返していると、ふいにMさんがこう言いました。

「鈴木さん、天使になりませんか?」

いきなりそう言われ、私はうろたえました。

「私が天使に?」

その言葉の中に、私の新しい使命が隠されていることを、まだ気づいておりませんでした。



つづく

888の衝撃(私がみちしるべを閉じた訳)

2009年09月04日 16時12分00秒 | スピリチャル
この内容はスピリチュアル的(霊的)な内容のため、人によっては受け容れられないかもしれません。その際は、どうぞご遠慮なくスルーしてくださいませ。



昨年(2009)9月のとある日、送迎の運転中に、8888ナンバーの車を同じに日に2度も見かけました。そのナンバーを見たとき、私の中に稲妻のような閃光と衝撃が走りました。まるで雷に打たれたような感覚でした。でも、それは目に見えない不安や恐怖という感情ではなく、何かの合図を聴いたような気がしました。昔風に言えば、狼煙が上がったというのでしょうか。それを見て、(合図が上がった!)という感じでした。そう、これは合図であったのだと思いました。瞬間、(ああ、まもなく、みちしるべが終了するんだ‥)そう直感していました。

(まもなく、みちしるべが終わる‥?)

何ということでしょうか。本来なら浮かんでくるはずもない言葉なのに、どうしてこんなにも簡単にかつ自然に心の中に浮かんできたのか、不思議でなりませんでした。同時に、(いよいよ、そのときが来た。私は立ち上がらなくてはならない。進まなくてはならない)という思いも湧き上がっていました。この摩訶不思議な感覚は、生まれて初めてのものでした。

そして、(これはメッセージではないか?誰かが私にメッセージを送ってきているのではないか?)そう思った私は、その夜、ネットで8888の意味を調べてみると、「数字は天使からのメッセージ」というサイトに、こんなことが書かれてありました。


『あなたの人生の一つの章が終わりを告げようとしています。そしてこれはあなたに準備ができるよう、警告をしているというしるしです。この数字の連続は、感情・仕事・あるいは恋愛関係のある段階を終えようとしている、ということも意味し得ます。さらにトンネルの向こうには、光があることも意味しています。そしてさらに「作物は実っている。収穫して楽しむことを先に延ばさないように」ということでもあります。言いかえるなら、何か行動を起こしたり、自分の労働の実りを楽しむのを後回しにしてはいけないということです』
     「エンジェル・ヒーリング」ドリーン・バーチュー著(ダイヤモンド社)より


 これを読んだとき、大きな転換期に差し掛かっているんだと悟りました。しかし、(その後、何処へ行くのだろう?)という素朴な疑問が湧き上がっていました。それにそもそも(みちしるべに通って来ているご利用者さんたちはどうするの?)ということが命題として浮上していました。

 しかし、しかし、ご利用者さんは自ら身を引くように、一人、また一人と亡くなって、ご利用人数が減っていきました。スタッフからも「来年の春から大学院へ行って勉強したいと思います」と言われ、2009年4月以降の介護スタッフ体制が整えられなくなりました。となると、2009年3月末でみちしるべは終了します。これまではハローワークなどを通して、多くのスタッフを雇用してきましたが、ことごとく認知症ケアの難しさの前に現場を去って行かれました。ですから、一番信頼をおいているこの介護スタッフが退職していなくなるということは、私と相談員の2人だけになってしまうということであり、経営は立ち行かなくなるということを意味していました。まるで、みちしるべを閉鎖する道筋が出来上がっているかのようでした。

この衝撃的な展開をどう受け止めればいいのでしょうか。魂の深い部分では頷いている自分がいるのに、頭の中では(経営が行き詰って借金だけが残るではないか!)と必死にあがいている自分がおりました。

それからしばらく経った2008年12月22日(この日は私の誕生日でした)、私はみちしるべの今後の展開を相談するべく、ある一人の女性の方に会いに行きました。混乱した気持ちを整理すべく、半蔵門のホテルの一室にて、そのことを相談申し上げました。

その部屋の扉を開けるとスピリチュアルカウンセラーであるMさんにこやかに立っておられました。これがこの方との初めての出会いでした。相談に入ると、すぐにこう言われました。


「あなたのまわりに、亡くなられたご利用者様たちが手を合わせて拝んでおられますよ」

「ええっ!」と、私の思考はフリーズしてしまいました。それがどういう意味なのかわからず、ただ当たりをキョロキョロと見渡してみましたが、誰もおりませんし、ご利用者さんたちなど一人も見えません。私は狐につままれたような思いになっていました。


つづく

動機付け(場面の切り換え) 講演の話しから

2009年09月04日 11時08分16秒 | 認知症介護
そのヘルパーさんは20代前半と思われる若い女性の方でありました。ご利用者さんのベッドから反対側の壁にぴったり背中をくっつけて、呆然と立ち尽くしておりました。

何が起きたのかは、すぐに想像できました。ヘルパーさんがデイサービスへ行くために、パジャマを着替えようとした際に、何のはずみでご利用者さんを立腹させてしまい、手を上げられたのだと思いました。いわゆる暴力行為というものになるのでしょう。手を上げられたヘルパーさんの経験度からいうと、すでに許容範囲を超えてしまい、どうしていいのかわからなくなったのだと思います。

ご利用者さんはというと、じっと目を閉じて、身体をくの字にして寝ております。身体に力が入っているようで、ワナワナと少しふるえているようです。

状況を瞬時に悟った私は、まずはヘルパーさんに「ご苦労様です。もう大丈夫ですので、ご安心ください」と声をかけて、別の部屋へ行かせ、ご利用者さんの視界からそのヘルパーさんが見えないようにしました。

次に、どのようにご本人へ声をかけるかですが、私は次のようにベッドサイドでお話しをしました。

「Sさん、今日はお銀ちゃんと一緒にお風呂に入るんでしょう!」

すると、突然上半身だけむくっと起き上がり、パジャマのボタンを外し始めました。
目はかっと見開いて、一秒でも早くお銀ちゃんと一緒にお風呂に入りたそうでした。

お銀ちゃんとは、水戸黄門に登場してくる“かげろうお銀”のことであり、由美かおるの当たり役であります。(現在は、疾風のお娟(えん)という名前で出ております)水戸黄門の人気を支えているのは、最後に印籠を見せる場面とこの由美おかるの入浴シーンです。この入浴シーンを見たい世の男性は数多くいらっしゃることでしょう。(私もその一人?)

ということで、Sさんもご他聞に漏れず、このお銀ちゃんの入浴シーンが大好きで、一緒に入る日だよと言われ、思わずパジャマを脱ぎ始めたのでありました。

すかさず私は、

「あ、お銀ちゃんは、今、玄関の外の車に乗って待っているから、一緒に乗って行こう!」と説明しました。すると、さっさと自分からベッドを降りて、玄関へ向かって歩き出しました。

あらかじめ玄関のドアは開けられていて、車が見えるようにしてあります。靴もそろえてすぐ履ける状態です。そして、送迎車のドアも開けられていて、中から女性スタッフに「Sさん、どうぞお乗りくださ~い」と黄色い声をかけてもらいました。

そして、いとも簡単に送迎車に乗り込んだSさんは、みちしるべに行ったわけです。パジャマを着ていますので、入浴は一番目に入ればと思いました。それともトイレに入ったところで、浴室のドアを開けておいて浴槽のお湯をかき回せば多量の湯気が出てくるので、それを見てすぐにお風呂に入られます。

認知症の人にとって、“場面の切り換え”(場面の展開)は、なかなか苦手なものです。一つの場面に気持ちよく落ち着けば落ち着いてしまうほど、次の場面へ切り換えは難しくなります。この場合、自宅のベッドから送迎車に乗るという場面の切り換えをしなくてはなりません。次の場面へ切り換える理由や必要性を認知できれば、人はすぐに行動に移しますが、その認知が困難なときは動く必要性を感じません。まして、ベッドの上で気持ちよく眠っていたいという思いが強ければ、次の場面のことを認知できないのですから、起きてデイサービスにいくことは益々困難となるでしょう。

しかし、私たちはその壁を打ち破る動機付けを行っていかなければなりません。そのヒントは意外とユーモアにあふれていて、身近なところにあるといえると思います。私たち専門職がそのことが見えないだけです。


<まとめ>

1.動機付けは、ご本人の趣味嗜好を事前に的確につかんでから行うこと。
2.人が移動する“動線”をふさがないこと。
  ①玄関のドアを開けて車が見えるようにしていること。(車のドアも開いている)
  ②すぐに靴を履けるように、揃えておいてあること。

せっかく玄関まで行っても、靴が出されていないと、靴を探す時間をロスしてしまいます。その間にそ本人の気持ちがそがれてし、再び部屋に戻ってしまいます。そうならないように靴をそろえおくことは鉄則中の鉄則です。また玄関まで来たとき、ドアが開いていて外の車が見えれば、ご本人気持ちは家の中から家の外へと向かい、一直線に送迎車に乗車するという目的がさらに強化されます。

年輪さんで講演しました

2009年09月03日 14時55分57秒 | 認知症介護
8月24日(月)午後6時半から8時まで、西東京市にあるサポートハウス年輪さんで認知症ケアの講演をいたしました。職員さんが対象であったので、認知症デイサービスやグループホーム、ホームヘルプサービス、居宅介護支援事業所で活躍されている方々が私の話に耳を傾けてくださいました。人数は50人ほどでした。

講演のテーマは次の通りです。


24時間365日の年輪デイホームを目指して
認知症の人の新しい力を引き出す
~築40年の古民家を使ったみちしるべの実践より~


私は最初から用意した147枚の写真をスクリーンに一枚ずつ映しながら、実際のケアの様子を紹介していきました。築40年の古民家はバリアだらけです。玄関に入るところは、大きな石がゴロゴロしているし、上がりかまちには手すりはないし、小さな段差があちこちにあるし、バリアフリーの大きな施設と比較すると、考えられないような構造の家です。そういうバリアだらけの環境の中で身体ケアするときの注意点や、バリアによって身体機能が引き出されていくことの重要さをお話しさせていただきました。

次に認知症の人をデイサービスに利用していただくときの動機付けの話をしました。ご本人にとっては、デイサービスに行くことに全くの必要性を感じられない人もいます。行く理由がないからです。そのとき、どのようにアセスメント時にご本人とお話しするのか、どんな動機付けをしてくるのかのお話しをしました。

また送迎時に車に乗らない人に対しての動機付けのお話しもしました。私としてはユーモアに話したつもりでしたが、皆さん一生懸命に聴かれていたので笑いが取れず、一人浮いてしまいました。(笑) それは皆さんが、現場で活躍されている方々ばかりなので、こんな場合どのように声をかければいいのかと真剣に聴かれているからだと思いました。

例えば、朝のお迎え時、男性ご利用者さんのご自宅まで行くと、奥様がすぐ玄関に出て来られて、「今日は行けそうもありません」と言って来られました。奥様の申し訳なさそうな表情を見て、すぐ家の中に入らさせてもらうと、壁にぴったりと背中をくっつけて立ち尽くしているヘルパーさんの姿があったのでした。

(つづく)