18日(日)、親戚の葬儀(告別式)が、ご自宅でありました。
京王線のとある駅で降りて、丘に向かって歩き始めました。
大学生の頃、何度か遊びに行ったときの記憶を呼び覚ましながら、
曲がりくねった坂道と階段を上って行きました。
途中、葬儀の時間に間に合わないかと思いましたので、
時間の天使さんに間に合うようにお願いしました。
すると、階段を上った目の前に親戚の家が現れました。
(ああ、ここの階段でよかったんだ。天使さん、ありがとう!)
玄関の大きな門は開かれていました。
ちょっと中の様子を伺っていると、
ちょうど葬儀屋さんが出てこられたので、
「親戚の者ですが‥」と話すと、
すぐに玄関の中に案内してくれました。
中に入ると30人以上の親戚が集まっていました。
こういうときでないとお会いできない方々ばかりでした。
田舎(山形)の実家からは、
父、母、兄、そして神奈川に住む弟夫婦も来ていました。
葬儀は時間通りに始められ、お焼香も順調に終わりました。
最後に棺の中にお花を入れるとき、
あまりにも変わり果てた姿に絶句してしまいました。
白血病であった伯母さんの姿を見て、
壮絶な最期だったのだろうと瞬時に理解しました。
その顔は骸骨のようであり、即身仏のようでありました。
生前の元気なときの面影はまったくありませんでした。
母が、「おねえさん、ありがとう‥」と涙ながらに花をたむけました。
私はただ無言でした。
これほどまでの状態だったら、
何故ヒーリングしに来なかったのだろう?
おせっかいと言われても行かなかったのだろう?
と悔やみました。
私と天使さんたちとでヒーリングしたら、こんなことにならなかったかもしれません。
「生命の贈り物」を伝えていたら、何かが変わっていたかもしれません。
でも、「‥してたら」は、私の後悔にしか過ぎません。
たとえ断られたとしても、行動に移せなかったことが大きな反省です。
そんなとき、「みのちゃん、頑張ってるね!」という言葉が聴こえてきました。
祭壇の上から聴こえてきた様に感じました。
みのちゃんとは、私が小さいときに呼ばれていた名前です。
いつもの伯母さんの明るい声でした。
それが私の唯一の救いの言葉でした。
ありがとう、伯母さん。
地上から離れて天に帰られたら、
私たちの活躍を見守っていてください。
そして、天使さんたちとゆっくり休まれてください。