光のみちしるべ ~愛だけが現実~

私たちは皆、神様の子供。
内なる神の分光を輝かせましょう。
5次元の光のピラミッドがあなたを待っています。

インコのピーちゃん

2007年03月30日 14時41分56秒 | ピーちゃん
みちしるべのHPのアルバムページを更新しました。
今回は「みちしるべに集う小動物たち」をアップしたしました。

詳しくはこちら↓
http://www.koikoi-michishirube.jp/album.html



インコのピーちゃんは、平成16年8月からみちしるべにいます。
ペットショップでまだヒナだったピーちゃんは、
他のヒナたちからいじめられて羽根が抜け落ちていました。

うちの相談員がそんなピーちゃんを見て、
みちしるべに連れて帰って来ました。

最初はスプーンで餌をあげていましたが、
少しずつ大きくなって、今では卵を産むほどになりました。

そして、見学に来られた方が、
ピーちゃんを見てご利用を決めるほど、
愛嬌のある声で鳴いてくれます。

いつもはカゴの中にいますが、
ご利用者さんもスタッフも全員家に帰ったあとは、
カゴから出して遊んであげています。

みちしるべに来たときは、
ぜひピーちゃんにお会いしていってください。
招き猫ならぬ招きインコが、
あなたの心を癒してくれるでしょう。



というわけで

2007年03月24日 08時02分59秒 | Weblog
新しい携帯を購入してきました。

うららかな日曜日の午後、
駅前のドコモショップへ行ったら、
たくさんの人でいっぱい。
何と1時間待ちと言われました。

そして、
店内をところ狭しと走り回る子供たち、
手をつないだラブラブのカップル、
一人寡黙な熟年男性、
母娘の親子づれ、
にぎやかな店内でした。

ともあれ、
やっと新しい携帯を手に入れることが出来ました。


やれやれ‥

携帯を洗濯機に

2007年03月21日 08時01分22秒 | Weblog
先週の土曜日から体験農園での野菜作りが始まりました。
まずは農園主さんから丁寧な講義が1時間半もあり、
冷たい風にふるえながら聴いておりました。

最初の1回目から相当な作業量でしたので、
(1日ではこなせないなぁ)と感じました。
そこでいったんみちしるべに戻って、
来週分のお味噌汁の具材と、
おやつの買物を先に済ませることにしました。

買物と昼食後、気分をひきしめて再び体験農園へ。
全体の三分の一の作業まで進んだところで、
午後五時半を過ぎてしまったので、この日の作業を終了しました。

ずっと風に吹かれていたので身体は冷え切っていました。
土の埃や汗でまみれた服を洗濯し、
エアコンの温かい風にほっと一息。

洗濯が終わってハンガーに干そうとしたら、
ズボンのポケットから何やら硬いものが‥。
取り出してみてビックリ、それは携帯電話でした。

すぐにスイッチを入れてみたけど、すでの後の祭り。
はかなくもただの金属と化したのでした。
奇蹟が起きるのを何度も試みましたが、
ウンともスンとも言わない沈黙の携帯を、
うらめしそうにじっと眺める私でありました。

3月の初雪

2007年03月16日 06時43分36秒 | Weblog
昨夜からみちしるべに泊り込んでしまい、
朝帰りとなった午前4時、
玄関から外をのぞいてみると、
ひらひらと雪が降ってきた。
気温はそれほど低くはないけれど、
上空はかなり凍っているのだろう。

豪雪地帯で生まれ育った私は、
雪というものがやっかいなものだと感じていた。

雪かき、
雪おろし、

日々の生活でこれを怠れば、
文字通り雪に押しつぶされて、
最悪、死に直結する。

でも、
朝焼けに照らされるときの輝きが好き。
夜、街灯に浮かび上がる幻想的な世界が好き。
どれも少年時代に経験した白銀の原体験。

そして二十歳のとき、
知的障害の人たちと働いた記憶がよみがえる。
大雪が降り積もったある朝、
両親が経営する工場にトラックが出入りできなくなった。
私は3人の知的障害の男性軍を引き連れて、
懸命の雪かきを行なった。

スコップをふりましても中々進まないA君、
冷たくて泣きべそをかき出す始末のB君、
それを見て檄を飛ばすだけのC君、
三者三様の姿がそこにあった。

その後、兄がその工場を引き継ぎ、
私は東京の大学へと戻って行った。

雪を見ると、いつも故郷のことを思い出す。
あのA君、B君、C君はどうしているのだろう。
ちょっぴり田舎が恋しくなった朝だった。

プロフェッショナル ~オリジナルこそ命~ ⑧

2007年03月07日 06時30分16秒 | プロフェッショナル
「もう歩くことは出来ません」

残酷なその言葉に、寮母さんたちは失望し、落胆していた。
医師の言葉なのだから、受容れるしかない。
皆がそう思っていた。

いつも人懐っこい笑顔で、右手を上げて「おはよう」と挨拶してくれるHさん。
園芸クラブでは、麦わら帽子をかぶり花の手入れをしてくれる。
施設での生活に満足しているふうでもなく、
かといって不満を言うのでもなく、
淡々とご自分の世界をもって暮らしていた。
そのHさんが歩けなくなるなんて、
人の手を借りて生きていくのはそう容易いことではない。

しかし、私だけは違っていた。
その医師の言葉は、私の内に眠っていた反骨心というものに火をつけた。
メラメラと怒りにも似た感情が炎のよう湧き上がってきていた。
この特別養護老人ホームに入職してから、初めて覚悟を決めた瞬間だった。

(何としてでも歩けるようにする!)

かたくなまでに、そう自分自身に言い聞かせていた。
MRIやCTスキャンなどの脳の断層写真を見たわけではない。
医師としての治療が出来るわけではない。
しかし、必ず歩けるようになる、という100%の確信があった。

入院から1週間ぐらいしてお見舞いに行くと、
ベッド上のHさんは自分の身体の左側を右手でさすって、
「どういうわけか、こっちが動かないんだよ」と笑いながら首をひねっていた。
明るい表情を絶やさないでいてくれたことは、逆にこちらが救われた思いだった。
この病院には理学診療科があるのに、
何故か積極的なリハビリを行っている様子は見えなかった。
「Hさん、必ず歩けるようになるよ」と病室で手を取って話しかけていた。
そして、間もなく車椅子にて退院されてきた。

すぐさま東海大学病院リハビリテーション科に受診し、専門医に診察していただいた。
そして、Hさんの訓練メニューが決まり、リハビリの日々が始まった。