その訃報は前職の知的障害児通園施設の施設長からだった。
ある晩、勤めを終えて帰ると電話が鳴った。
「じつはマー君のお母さんが亡くなったんだ」
「えっ、本当ですか?」
「しかも自宅で首を吊って自殺だったんだ」
「‥‥‥」
私は絶句した。言葉が出てこなかった。
「どうして自殺したんですか?」
と尋ねると、
「今年卒園して養護学校に入学してから、
担任の先生とうまくいってなかったようだ。
話が出来ないまま、いろいろなことを一人で抱え込んでしまったのだろう」
「そうですか‥」
「マー君はあなたが担当していたから連絡したんだけど、
葬儀には行くかい?行くならば時間と場所を伝えるけど」
私はちょっと思案したのち、
「いえ、私はもうそちらの職員ではないから、ご遠慮します」
と答えた。
「そうかい、そうだね。あなたはもう私たちの職員じゃあないから無理することないよ」
そう言って電話は切れた。
マー君は私が就職2年目に担当した子供だった。
知的発達の障害が認められ、5歳になっても言葉を発することがなかった。
お友達と一緒に遊ぶこともなく、一人で遊んでいるだけだった。
お母さんと二人暮らしの母子家庭であり、生活保護を受給されていた。
お母さんは私と会うと、
「先生、うちのマーが滑り台やジャングルジムの高い所に上ったら、
落ちないように一緒に上ってね」
と口癖のように言っていた。
事実、その通りに一緒に上っているのを見ると、
「先生、私の言ったこと、ちゃんと覚えていてくれたのね」
ととても嬉しそうにされていた。
少しずつマー君にもお母さんとも関係が築いてきた頃、
ある晩の8時頃、何処で調べたのか私の家に電話を掛けてきたことがあった。
「先生、マーはこれからどうなるんでしょうか?
それを考えると毎日不安で寝られなくて‥。
先生、今から家に来てくれない?
相談したいこともあるから‥。
園ではなかなか話が出来ないから‥」
という内容だった。
本来ならば勤務時間は終わっているから、
時間外に家庭訪問することは上司の許可なくして行くことは有り得ない。
まして上司と相談もしていない。
本当に相談があれば、後日時間をとって園でゆっくり話を伺えばいい。
それなのに、緊急性を感じた私は車に乗って、マー君の家まで出かけた。
ところが、玄関先に現れたのは、マー君とお母さんだけでなく、
ステテコ姿でいかつい顔の男性だった。
ある晩、勤めを終えて帰ると電話が鳴った。
「じつはマー君のお母さんが亡くなったんだ」
「えっ、本当ですか?」
「しかも自宅で首を吊って自殺だったんだ」
「‥‥‥」
私は絶句した。言葉が出てこなかった。
「どうして自殺したんですか?」
と尋ねると、
「今年卒園して養護学校に入学してから、
担任の先生とうまくいってなかったようだ。
話が出来ないまま、いろいろなことを一人で抱え込んでしまったのだろう」
「そうですか‥」
「マー君はあなたが担当していたから連絡したんだけど、
葬儀には行くかい?行くならば時間と場所を伝えるけど」
私はちょっと思案したのち、
「いえ、私はもうそちらの職員ではないから、ご遠慮します」
と答えた。
「そうかい、そうだね。あなたはもう私たちの職員じゃあないから無理することないよ」
そう言って電話は切れた。
マー君は私が就職2年目に担当した子供だった。
知的発達の障害が認められ、5歳になっても言葉を発することがなかった。
お友達と一緒に遊ぶこともなく、一人で遊んでいるだけだった。
お母さんと二人暮らしの母子家庭であり、生活保護を受給されていた。
お母さんは私と会うと、
「先生、うちのマーが滑り台やジャングルジムの高い所に上ったら、
落ちないように一緒に上ってね」
と口癖のように言っていた。
事実、その通りに一緒に上っているのを見ると、
「先生、私の言ったこと、ちゃんと覚えていてくれたのね」
ととても嬉しそうにされていた。
少しずつマー君にもお母さんとも関係が築いてきた頃、
ある晩の8時頃、何処で調べたのか私の家に電話を掛けてきたことがあった。
「先生、マーはこれからどうなるんでしょうか?
それを考えると毎日不安で寝られなくて‥。
先生、今から家に来てくれない?
相談したいこともあるから‥。
園ではなかなか話が出来ないから‥」
という内容だった。
本来ならば勤務時間は終わっているから、
時間外に家庭訪問することは上司の許可なくして行くことは有り得ない。
まして上司と相談もしていない。
本当に相談があれば、後日時間をとって園でゆっくり話を伺えばいい。
それなのに、緊急性を感じた私は車に乗って、マー君の家まで出かけた。
ところが、玄関先に現れたのは、マー君とお母さんだけでなく、
ステテコ姿でいかつい顔の男性だった。