光のみちしるべ ~愛だけが現実~

私たちは皆、神様の子供。
内なる神の分光を輝かせましょう。
5次元の光のピラミッドがあなたを待っています。

長崎の平和の祈り

2010年08月10日 13時25分35秒 | 生命の贈り物
 今日は65年前に、長崎に原爆が投下された日です。私としとりんは8月6日の広島に続いて、投下された午前11時2分に黙祷を捧げました。そして午後から、被爆し亡くなられた方々の慰霊のため、2人で神事を執り行いました。


 チベタンベルを鳴らし、『生命の贈り物』の生命の祈り1~8までを朗読しました。7まで読み終えたとき、しとりんが「この部屋に誰かが来ている」と言いました。女の子を抱っこした女性だと言いいます。私には見えません。その女性は私のところにではなく、しとりんのところに来たようでした。衝撃的なのは、おんぶしたその小さい女の子はすでに亡くなっていて、首が後ろにのけぞったままだと言うのです。しかも、その女の子を両腕で抱えて降ろし、しとりんに差し出したというのです。その女性の身体は被爆したため、全身が焼け爛れていたそうです。


 私は私で、大勢の方々の御霊を感じていました。この部屋と長崎の街が光ケーブルでつながったかのように、大勢の方々がこちらに瞬間移動し、押し寄せているような感じがしました。そして、すぐに最後の8番目の感謝の祈りを捧げ、祝詞を奏上いたしました。チベットのお香も焚きました。祝詞を奏上している間に多くの方々が天に上がってゆかれたのを感じました。


 しかし、まだ天に上がられていない方々が大勢残っておられます。私たちを取り囲んで何かを待っているかのようです。私はギターを手にし、『愛の奇蹟』を歌い始めました。目を閉じながら、目の前にいらっしゃる方々を肌で感じながら歌いました。おそらく被爆されたカトリック信者さんの方々なのでしょうか。その首には十字架がかけられ、頭には白いレースの布をかぶっておられました。そして、十字架を握りしめながら天への階段をゆっくりと昇って行かれました。一人ひとりにきちんと天使たちが寄り添い案内しておりました。そして、白い光に包まれながら空に消えていきました。


 そのような光景を感じながら、“神事”を終了いたしました。私は頭の中が妄想でおかしくなったのではないと思いました。それだけ、いつもとは違った“神事”だったのです。ふと、マリア様のようなエネルギーを感じました。「ありがとう」と言っているみたいでした。


 まだまだ天に還られていない御霊が大勢いらっしゃいます。私の仕事はその地へ行って、天に還るお手伝いをすることだと思いました。でも(こんな自分が‥)と大変おこがましいような気がします。私でなくとも、そのようなことを行なう方々は大勢おります。(どうして自分なのか‥?)と思います。でも、私たちの祈りの言葉で、祝詞を奏上することで、歌を歌うことで天に還られる御霊がいらっしゃるのであれば、そのお役目は(喜んで!)受け容れなくてはならないでしょう。 そして、私は『奇跡のコース』の言葉を歌にして、全国で歌っていくのだと思いました。



 何だか、徒然なるままに、取りとめなく書き綴りました。長い文章を読んでくださった皆様に心から感謝申し上げます。ありがとうございました。


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