現在、私が働いているデイサービスの所長は、
介護経験がほとんどないまま事業を立ち上げた方です。
正直、私とは比較にならないどキャリアがありません。
ですから素人が介護事業所を経営しているようなものです。
実際、3月にはほぼ1年分の領収書を持って「会社の決算が間に合わない」とあたふたしていたし、
毎月の収支をしないまま経営していても平気でおられます。
経営感覚がまったくないのでは?と思ってしまいます。
自分が担当したものがうまくいかなくなると、
そのまま他のスタッフに平気で丸投げしてきます。
本人はここまで仕事の段取りをしたからと思い込んでおります。
他にもここに書けないようなことが沢山あります。
こんなんでよくつぶれないものだと、妙なことに感心したりします。
毎日、所長の仕事のフォローをして面倒見切れないなあと思ったりします。
そもそもどうしてこんなところに就職したのだろう?と我ながら疑問に思いますが、
面接日、その職場のそばに8888の車が停まっていたことが決め手でした。
「ここだよ」とAAマイケル(大天使ミカエル)が教えてくれたのでした。
所長もその場で採用を即決してくれたのでした。
しかし、実際に働いてみると、
仕事の取り組み方(感覚)が私とはまったく正反対なのでした。
どうして私がここに導かれたのか疑問の連続で悩みました。(今も)
そこで所長と私の過去世からの関係がどのようなものなのか、
霊視してみることにしました。
私の脳裏に浮かんできたヴィジョンは、所長が滝つぼに転落していく場面でした。
所長は少年の姿になっていました。
そして、落ちていく所長を冷ややかに見ている自分がいました。
大きな滝は日本ではないことを示していました。
おそらく中南米のような気がしました。
例えばペルーとか‥。
所長と私は兄弟でした。
私が兄で、所長が弟でした。
私たちは仲良く遊んでおりましたが、
足に障害を持っていた弟は兄にとって、
何かと足手まといになることがありました。
仕事で忙しい両親からは、弟の面倒を見るように言い渡されていました。
兄が友だち同士で遊びに行く時も、弟は常にくっついて来ました。
「今日は一緒に遊べないよ」と言っても泣きながら追いかけて来るのでした。
ある日、弟のことを本当に面倒だと思った兄は、
大きな滝の上まで登ったとき、彼を滝つぼに突き飛ばして死なせてしまいました。
しかし、両親には足を滑らしての事故であったとうその報告をしました。
それを疑うことなく信じた父母は兄を責めたりしませんでした。
足に障害をもった弟の世話をするという学びをここでやめてしまったのでした。
それから何世紀もの時を経て、私たちは再び出会いました。
弟は兄の上司(会社社長&デイサービス所長)という形で現れました。
兄は弟の面倒を見るという過去世で果たせなかった学びの続きを与えられたのでした。
しかも弟はカトリック教会の神父という肩書きもありました。
私は神父(牧師)ではありませんが、神学大学出身です。
私が小規模多機能ホームみちしるべを閉鎖した年、
弟はデイサービスを立ち上げたのでした。
ここまでのヴィジョンが見えて、現在の学びがいつまで続くのだろうかと思いました。
私の学びがある程度まで完結すれば、自然と現在の職場を離れることになるでしょう。
弟にも弟としての学びがあります。
いつまでも兄の背中を追いかけてはいられない、ということです。
弟は兄から自立するという学び(経験)をすることで、
この学びは一応の完結を見るのではないか‥と思います。
ということで、もう少し現在の職場にいそうです。