無理難題を言わせてもらえば2号機を1メートル前に出すか、3メートル後ろに下げてロッドの位置は何とかしてくれれば良かったと惜しみました。 01,07,29 梅小路蒸気機関車館 スキャナー : Nikon COOLSCAN ⅣED
国鉄時代、現役蒸気機関車終焉と同時に動く、火の入った蒸機が永遠に保存・走行が出来る様にとあたかも蒸機の聖地になるのかと期待した梅小路蒸気機関車館ですが、死傷事故まで引き起こした本線走行の難しさや国鉄解体に向けた中で幾度となく行われた見直しで動態保存機がどんどん火を落とし、気がつけば火が入る機関車はC622号機やB2010号機、あるいはC56160号機くらいになってしまいすっかり魅力がなくなってしまいました。やはり火の入っていなければ本当にのカマではありませんし、本線を走って本物の鉄道車両だと思います。期待を裏切られた形の梅小路蒸気機関車館ですが、そんな不満だらけの梅小路蒸気機関車館にあってその存在を誇示するがごとく我々を魅了したのが、開館して数度だけ開催されたナイトオブジェと言うイベントです。要は撮影のために火の入る全てのカマに火を入れて夜の帳が降りた頃、撮影用のライトをカマに照らして撮影できると言うイベントなのですが、これが何とも素晴らしいイベントで心くすがれたというより、いたく感動した記憶があります。
冷静に見ると”つばめ”と”あさかぜ”のヘッドマークはちょっと違和感があります。やはりブルトレのヘッドマークで並べて欲しかった気がします。 01,07,29 梅小路蒸気機関車館 スキャナー : Nikon COOLSCAN ⅣED
このイベントは数年にわたり何度か開催され、最初のナイトオブジェは93,10,08に開催されましたがこの時はショー的要素が多く、女性司会進行役のインフォメーションと同時にライトアップがなされ、雨上がりに浮かび上がり輝くボイラーに落涙するほど感動したのものでした。しかし、後に開催されたナイトオブジェでは鉄ちゃん用に機関車を並べて”勝手に撮りなはれ!”的にただライトアップするだけのイベントに変化していきました。余談になりますが93年のナイトオブジェ開催日は偶然にも北海道の復活シロクニ運転日の前日でした。ナイトオブジェ終了後、最終の”ひかり”(当時はまだ”ひかり”主体のダイヤ構成でした。)に乗り深夜に帰宅し、翌日は羽田一番便で北海道に渡り復活シロクニを撮ると言うハードスケジュールでしたが2日間で火の入った2号機と3号機をこの眼で見ることが出来、それはそれは充実し、また鉄ちゃんとしてこの上ない幸せを感じた2日間でした。
10年前の01年のナイトオブジェの目玉はやはりC62の並びだったと思います。94年に広島からやって来た1号機にとって、初めてのナイトオブジェだと記憶していますが、1両は無火とは言え、日本最大のカマが2両並んでライトアップされると圧倒するものがありました。
ところで初めてナイトオブジェを開催したときは火の入っているカマの同時汽笛吹鳴というイベントもあり微妙に異なる複数の汽笛のハーモニーは鉄ちゃん私たちにとっては素晴らしい音色となりましたが一般の人たちにはただの騒音として受け取ってもらえず周辺住民から゛うるさい!゛と苦情が多数寄せられたために1年限りで終わってしまいました。
私は勝手に「103レ急行”ニセコ”を牽引して小樽築港機関区に戻り、帰着検査を待つ2号機」と頭に描きながらシャッターを押しましたが、火が入ったカマだけに、それらしく見えてしまいます。 01,07,29 梅小路蒸気機関車館 スキャナー : Nikon COOLSCAN ⅣED
ここ数年、ナイトオブジェは開催されていません。夜間のイベントには保安上の問題の他、多くの人手とそれに伴う費用がかかる事は理解できますが、せっかく生きた蒸機がいる梅小路蒸気機関車館ですので、このナイトオブシェを定例化してもらえないかと切に願っています。
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