この撮影地は以前に訪れた際に”山の上から撮れるなぁ!”と記憶していたので俯瞰前提でプランニングしていました。機材が重いので一度身軽で登ってみて、目ぼしい場所があったら一度車に戻り機材をもって再度登る事にしました。ここかな?と思う場所にはすでに鉄ちゃんが待機していたので再度登って来ることを告げて、機材を取りに行きました。換算両数を1号編成と合わすためにDE10が連結していたのは素晴らしいサプライズでした。 97,09,25 上米内 試9620レ
20年前の09月は天皇・皇后両陛下は第17回豊かな海づくり大会ご臨席のため10月4日山田線盛岡駅―宮古駅で、6日釜石線釜石駅-花巻駅でお召列車が運転されました。これに備えて09月から訓練運転が開始され、そのうち09月25日に山田線盛岡―宮古間で運転された試運転に撮影のため出撃しています。
前夜、東京駅前発盛岡駅前行の夜行バスに乗ったのですがこの車内の一番後ろの席で湘南チサ區様と運命的な出逢いをすることになります。一言、二言話しただけで蛇の道は蛇と言う事で高速バスの中ですぐに意気投合する事に。それではと25日は同一行動することにして私と湘南チサ區様とダブルで予約してしまっていた盛岡駅前のニッポンレンタカーの予約を私の分を無料キャンセルして一緒に行動することなりました。
まず盛岡でレンタカーを借りてから向かったのが上米内―区界でした。ここはかつて元都庁の大先生とロケハンした事があり大体の撮影地は把握していました。またその際に俯瞰できる山がいくつかあることも認識していたので迷わず最初の撮影地とした記憶があります。その後はこの訓練運転の列車を宮古まで追い掛けました。ただこの日は朝は快晴でしたが時間経過とともに雲が多くなり訓練列車の追い掛けも、また午後に運転された盛岡への回送列車も雲の隙間から太陽が顔をのぞかせる程度の天気となってしまいましたが何とか復路の回送(お召列車は盛岡―宮古間の片道運転のため復路は訓練する必要がなく回送扱いになってました)も1カットだけ何とか晴カットを撮影出来てホッとしまたし。
翌26日の盛岡は雨予報でしたので私は新幹線で引き上げましたが湘南チサ區様は翌日まで粘って26日の午後カットは晴れたと後日報告をいただきました。
あれから20年。しばらくは一緒に撮影に行くこともなく情報のやり取りだけでしたが飯田線のEF58122号機の旧客の撮影を機に幾度となく撮影するようになりました。その後は頻繁に撮影に同行していただき、今や二代目FORSTERのキーも所持し、それどころか自宅マンションのキーも預けてあるほどです。湘南チサ區様とは撮影だけにはとどまらず、呑みを介して一筋縄ではいかない多くの鉄ちゃん(蒙Aさんや田端の師匠殿、また2月に急死された総書記閣下等、一般の人で言うとても悪いたくさんのお友達)を紹介することになりました。今では20年前以上から一緒に鉄ちゃんに出撃していたかと思えるほど私と多くの仲間内の鉄ちゃんと交流を深めています。
あの日、あの高速バスで私と出逢った事が湘南チサ區様の人生にとって良かったのか、悪かったのかは彼が判断するととして、今はお互い良き理解者になった事だけは間違いないと思います。
これは別の日の訓練運転ですがこの日はDD51の単機牽引でした。私の後ろには大きな樹木の枝の乗ったM君がいました。この後の石巻線お召での訓練運転も天気が不順で悩まされましたがこの時の試運転もなかなか晴れてくれませんでした。この写真は数少ない晴写真です。 97,09,28 区界 回9621レ
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DT200A@CF-F9
チサ區
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