旧型電機が淘汰されて東海道・山陽線沿線の機関区から八王子機関区にEF60が転配されてきた直後の姿です。シールドビーム2灯化されていない好ましい姿の機関車の転入は旧型電機の淘汰の悲しさと同じくらいの心ときめかせたものでした。ちなみに撮影した足場は原宿保線区の詰所のドアの前で中にいる保線区の方にひと声か掛けると快く撮影させてもらえました。 81,02,18 原宿 9442レ
40年前の02月は山の手線原宿駅からほど近い場所にあった原宿保線区の詰所横で白熱灯のEF60の団臨を撮影しています。
この頃、団臨が運転されるとその牽引する機関車は厳格に決められていました(・・・と言うか、前例を踏襲されていたと言う表現が適正かもしれません)。東北線から山の手貨物経由で東海道線へ継承される場合は東北線内から品川または新鶴見までは宇都宮運転所が担当する事になっていました(高崎線から同ルートの場合は高崎機関区が担当となっていました)。
また、中央線から山の手線経由の場合は列車が高尾以西からの列車の場合は甲府機関区のEF64、高尾以東発の場合は八王子機関区が担当となっていました。そして品川や新鶴見で継承され東海道線を下る列車は東京機関区や宮原機関区のEF58が牽引していました。面白いのが中央線からの臨時列車が東北線や高崎線へ北上する場合は新宿から東北線なら宇都宮運転所が、高崎線なら高崎機関区が担当していました(高尾山初詣で列車の高尾臨はルートは逆ですが同じ理屈でした)。面白いのは高崎線経由で信越線へ入る場合は新宿-高崎間を高崎機関区のEF58が担当し、高崎で再度機関車交換をしてEF62の牽引になっていました。これは新宿、あるいは品川までEF62の入線実績が無かったことによるものだと思われます。
さて、写真の列車は八王子発で品川経由で東海道線を下る列車で八王子―品川間を転入間もないEF60が牽引しています。奇麗に磨かれて廃車直前でもその輝きを失うことの無かった旧型電機が淘汰され、代わって活躍し出したのが主に浜松機関区に配置されていたEF60でした。この当時は既にシールドビーム2灯化が真っ盛りで福島機関区のED71などはかなりの割合でシールドビームのカマが現れ、撮影時にガッカリさせられたものでしたが、浜松機関区のEF60の白熱灯車はシールドビーム化されてしまったカマは少なく、そのリスクが少なく好ましい姿の機関車が多く好感をもっていました。その機関車が大挙して八王子機関区へ転入して来たのですから、純粋に喜んだものでした。
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