DT200Aの庫 (goo-blg)

30年前の11月 No1 電機牽引の団臨2本


 今で言う”カナキク”を行くEF62団臨。ポストゴハチでほとんど撮影する人などなかったEF62ですが、あのブロワ―音を奏でながら大幹線の東海道を走る姿は私にとっては十分すぎるくらいの魅力でした。さすがにこの当時は金谷駅から歩くことは絶対なくトラックに煽られながら当時、所有していたサニー1200で東名で向かうか、新幹線で静岡乗換で8時頃に金谷駅に到着し、そこからタクシーで現地に向かい帰りは菊川までバスと言うアクセスでした。   85,11,02 金谷-菊川 8101レ

 30年前の11月は情報が入る限り団臨を追っ掛けている時代でした。この頃、団臨の牽引機は旧型機関車が淘汰されて様変わりして私としてはかなり面白味を感じる時代だったからでした。東海道・山陽筋は団臨と言えばEF58でしたが同機の衰退により今まで団臨とは縁も縁もなかった機関区(沼津機関区や稲沢第二機関区)が団臨担当区になりまた高崎線や両毛線等の団臨はEF58やEF15からEF60に変更された時代で結構、面白みがありました。まだ冬季のみシナ座とミハ座は暖房か必要で山から降りたEF62が牽引していました。まだ高崎第二機関区はEF15淘汰目的でかつての特急牽引機だったEF60の500番台や一つ目のEf60初期型が配置され普段は牽引をしていましたが団臨が運転となればタカ座を牽引する姿に魅力を感じて追い掛けていました。もともと節操のない私ですから旧型電機であろうと60代電機であろうと晴れていればOKのノリでした。そのため高崎のゴハチ牽引だと二の足を踏んでいた両毛線や上越線の団臨に積極的に出撃する様になりました。


 高崎から東北線や常磐線を下る団臨は両毛線経由なのがメインでした。両毛線内は高崎第二機関区のEF60が充当されていましたが当時の高崎第二機関区には初期型の一つ目と後期型の二つ目のEF60とがあり、やって来た機関車を見て一喜一憂したのを思い出します。    85,11,21 岩舟 9633レ

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