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当時、信濃川田駅はそなりに大きな駅でした。午後になると須坂からの列車が到着する度に多くの高校生が降りて来て足早に自宅に戻っていく光景がみられました。 85,11,27 長野電鉄河東線信濃川田 1501型 T-Max スキャナー : Nikon COOLSCAN ⅣED
30年前のこの頃は人知れず長野盆地の片隅で走り続けていた長野電鉄1500型に魅力を感じて何度か訪れています。河東線は後に屋代線と名称変更されていますが当時は河東線と呼ばれていました。国鉄から列車が乗入れていた時代には長野電鉄の花形線区でしたが82年に急行”志賀”の乗入れ廃止となってからは一挙にのどかなローカル線に様変わりしてしまいました。
ここに1500型が残った経緯は長野~善光寺下が地下化が81年春に完成し難燃化された車両が必要となり旧型電車のそのほとんどが廃車となりましたが河東線は運用が独立していたことが功を奏して1500型が3両が延命細々と河東線で余生を過ごすことになったわけです。ただ、この当時は東急から大量のアカガエルが進出しておりラッシュ時や車両検査時には河東線にもアオガエルが進出してきてがっかりしたことを鮮明に覚えています。今思い返すと驚くべき事にすでに30年前に長野道の計画があり建設工事が始まっていて予定の土地にはただ土が盛り上げていました。たださのまま放置されているところが多くあり良い足場になったことを覚えています。
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このアングルは今は撮影出来ません。撮影しようとすると長野道を走っている車に轢かれます。ちなみに上の写真の1500型は運行板が右でこの写真は左側にあるので別の車両です。もう1両は非貫通で真ん中に運行板があったと記憶してます。記憶が正しければ左が1501、非貫通が1502で右が1503だったかな? 85,11,27 長野電鉄河東線信濃川田―若穂 T-Max スキャナー : Nikon COOLSCAN ⅣED