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東北線・越河へ初めて訪れた日


 通常は8M4Tである仙台運転所の”ひばり”編成ですが、特に混雑の激しい列車を対象にTsを1両増結した8M5Tで運転されていました。上野方にTsc+Tsを連結した通称:クロサロ”ひばり”はまさに特急電車の華でした。  76,11,21 越河 1004M 

 4月3日にED75牽引の12系客車回送を撮影するために東北線きっての名撮影地でもある越河の撮影地を訪れて、昔を思い出し、懐かしさがこみ上げてきて当地に初めて訪れた日の写真を何枚かスキャナーしましたのでご紹介したいと思います。


 まだ太陽が差し込む前にやってきた102レ”八甲田”です。貨車だか客車だかわからないパレット客車になじめず”八甲田”の編成は毛嫌いしていました。今見れば、何ら違和感を感じないのが不思議です。たしか”八甲田”は上下列車とも青森機関区のED75が担当だったと記憶しています。  76,11,21 越河 102レ 

 4日のブログでも一部ご紹介した通り、初めて越河の撮影地を訪れたのは34年前の11月でした。当時は高校生でしたのでアクセスは列車と言う選択肢しかなく、上野から夜行列車で越河へ向かっています。
 当時の上野駅と言えば夜ともなれば次々と発車していく通勤列車の合間を縫って夜行列車が多く運転されていました。そのために夜行でどこかへ行く場合は少し早く上野駅へ行って、夜行列車の夜楽(バルブ撮影)をするのが常でした。ネガを見ると当日もそうしているようです。
 そして翌日、455系”あずま”で越河駅を降りてまだ太陽が上がる前の線路に沿って犬走りをトボトボ歩いていると、102レ”八甲田”がやって来ました。事前にダイヤを見てお立ち台に到着する前に102レはやってきてしまう事は承知済みで、それなりの場所を見つけて少し待った記憶があります。そして102レ撮影後は越河の撮影地へ直行しているようです。撮影地(後のお立ち台)に到着した時点では太陽は上がっていたものの撮影地に光は差し込んでいなかったようです。


 やっと太陽が差し込む頃、撮影地に到着しました。程なくしてED71重連の下り貨物列車がやってきました。ED71の貨物列車は原則、福島-長町間は重連で運転されていました。76,11,21 越河 1581レ ED7152+7112  

 当時の福島-仙台(長町)間のスーパースターは”ひばり”・”やまびこ”等に代表される485系電車特急でした(一部間合い運用で583系の列車もありました)。東北新幹線開業前の東北線はまさに電車特急全盛期でひっきりなしにやって来る電車特急には圧倒されるものがありました。特に上野-秋田間の”つばさ”や上野-山形間の”やまばと”。あるいは上野-会津若松間の”あいづ”が加わる郡山以南では右から、左からとめまぐるしくやって来る特急電車には正直、飽きが来るほどでした。



 お立ち台で定番アングルでのED71の列車はこれ1本だったと記憶しています。ブタ眼改造機が来るとイャダナァ!と思っていましたが、原型機がやって来て感動したのを今も思い出します。   76,11,21・ 越河 1582レ ED717+ED7115

 一方、この区間で電車特急列車以外の主力ではなんといってもED75でした。まだ普通電車の設定もほとんどなく旅客列車といえば旧型客車が長い編成を組みED75に牽引されていました。また名脇役としてED71が活躍していました。主に貨物列車を牽引していましたが、一部に客レの運用もありました。
 この当時、福島機関区配置だったED71は前照灯がシールドビーム2灯改造車(通称:ブタ眼改造)が多く見られここぞと言う列車にブタ改造のED71がやって来てがっかりした事を思い出します。
 ED75に圧倒されて影の薄いED71でしたので、個々の運用を把握するまではいたってはいませんでしたが、写真を見る限りED71の充当列車は上下列車共にシャッターを切っている様なのでED71の充当列車は事前にわかっていたと思われます。


 越河-貝田間での撮影ですが画面下に4号線が写っていますが大型トラック等が写り込んだりしていません。まだまだ鉄道貨物が主力だった事がうかがい知れます。  76,11,21 越河-貝田 下り貨物 

 この日は天候に恵まれ(雲はやってくるものの太陽の手前で消えてしまう理想的な条件)、11時頃までお立ち台で撮影してから越河駅まで戻り、そこから貝田駅の南側まで撮影をしながら半日かけてゆっくり歩きました。駅間の長い東北線の中で越河-貝田間は5キロ程度の距離なので何なく歩き通したと思われます。
 その後の記憶はほとんどありませんが、夕方に福島駅まで辿り着いて駅の案内所で国鉄の集会所(宿泊設備)を紹介してもらおうとしたら集会所がいっぱいだと言う事で、ほとんど料金の変わらないビジネスホテルを紹介されました思い出があります。高校生の身分でしたのでビジネスホテルには抵抗感があり躊躇したのですが他に安く泊まる場所はないと言われて、従った記憶があります。たぶんビジネスホテルに宿泊するのは初めだったと思います。ホテルに着いたら和服姿のお上が高校生の若造を大人と同様に手厚くもてなしてくれたくれた事ははっきり覚えています。ついでにユニットバスもこの時初めて使ったのではないでしょうか?コンビニのない時代、夕飯はどうやって食べたのか?…30年前以上の事ですので全く記憶にありません。
 

 貝田駅を通り過ぎて午後に狙っていた撮影地に向かいました。この撮影地の足場は東北自動車道の築堤ですが、フェンス等はなく簡単によじ登れました。のんびりした時代を象徴しているようです。たしか午後のED71の貨物列車が1本しか設定がなく、どうしても原型前照灯車が来て欲しかったのですが、やってきたのはブタ眼でした…涙  76,11,21 貝田-藤田 2150レ ED7140+7112

 そして翌日は奥羽線にEF71・ED78の撮影に向かっています。その思い出は次回に…

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