DT200Aの庫 (goo-blg)

19年07月 見たまま!聞いたまま!撮ったまま!


 今年もJAMの季節がやって来ました。今年は08月16日(金)~18日(日)の3日間です。最初は模型鉄中心のイベントが色濃く出ていましたが年々回を増す毎に模型鉄以外にも楽しめるイベントに変わりつつあります。今年も18日を中心に蒸機乗務員経験者のみなさまの座談会など面白そうなトークショーが目白押しですので既に18日は休みを申込んで楽しみにしています。ところでチラシの女の子はバーミリオンちゃんとカナリアちゃんというそうで、名前は101系カラー名からきているとの事で、服の窓上下幅は微妙に変えてあると言うのには驚きました。   【Facebook】再掲


 我が家の菩提寺の池上・本門寺大坊近くで目撃した現役の軽バンです。私が若い頃はこれくらい乗り込んだ車も珍しくはありませんでしたが最近、これだけ鯖が出た趣きのある車は見掛けません。これだけ鯖が出ててもエンジンはちゃんと廻りなんら差し支えなく乗れてしまうというのが日本車の凄いところです。   19,07,02  14:21頃   大田区池上   iphone7カメラ機能で撮影  


 ↑↓京都鉄道博物館でのお召列車関連の特別展示(鉄路を翔けた鳳凰)は見る者を圧倒して、何と再び京都鉄道博物館へ足を運ぶことになりました。そうは言ってもお目当ての展示会場へ足を運ぶ前に京都鉄道博物館に入ったらまずはイコマルにご挨拶をしなくてはなりません。近くまで足を運ぶと自然に首を垂れ目を瞑り当時の頃のことを想い返してしまいます。周囲は柵で視線を制約されていますが一部はゴハチの足廻りも観察が出来ます。前回、可動式スノウプロウーのシリンダーは撤去されていると思ったら、今回さらにゆっくり観察すると可動式スノーブロウーのシリンダーはそのまま残っていました。ただ、それを駆動させるエアーの配管はかなり前に撤去されているというのがわかりました。   【Faice BooK】再掲   19,07,04  12:43頃   京都鉄道博物館   iphone7カメラ機能で撮影



 本文でも触れましたが京都鉄道博物館の2回目の訪問で3階部分に上がってみました。本館は3階建てですが最上階の3階は団体用の待合室と図書館と言う事で初回は時間も無かったので2階までしか上がりませんでした。しかし2回目に訪れた際は少し時間に余裕があったので何も無いはずの3階にも上がってみましたがすると国鉄時代の写真が十数枚展示されていた思わず見入ってしまいました。。
 この写真はマルスが全国的に導入されていなかった当時の指定席管理センターの様子です。各駅から鉄道電話で列車の指定席の照会がありそれを手作業で回答して特急の指定席等を発売していました。真ん中にある本棚は回転式で列車の問い合わせが来ると台帳を引き出して割り当てを口頭で伝えるシステムでした。線区ごとに机が別れていて電話番号も違ったのだと推測されます。
 手作業ですので日付・列車または乗車区間の相違などが発生し指定席の重複発売など日常茶飯事だったようです。写真はかなり小規模なので特急が各線一日数本と言う時代のものだと思われます。その後、43,10の特急増発を前に全国の主要駅ではマルスの導入が進められました。今は、分割の弊害で旅客会社共通のカードレス化が出来ず飛行機のチケットレス化に大きく水をあけられてしまっていますが、国鉄時代は他の交通機関よりもいち早くコンピュータ化がなされ、一時は国内航空券や旅館の発売にも積極的だった時代があった事は特筆されると思います。JRきっぷのペーパーレス化も分割の弊害が30年経過して未だに手付かずで改善が求められています。  19,07,04  13:00頃   京都鉄道博物館   iphone7カメラ機能で撮影 



 ↑↓最初の京都鉄道博物館訪問時の帰りは京都駅近くの地下街で京料理をいただきましたが2回目の訪問時は同じ地下街で京そばをいただきました。これだけのボリュームがあって1,550円はかなりお手頃ではないでしょうか?更にお蕎麦は食べ放題でした。不味いお蕎麦ならこれだけあれば十分ですが美味しいお蕎麦だったのでざるを2枚追加していただきましたが、おかげで帰りの新幹線は満腹君状態で、自由席に座ったら爆睡状態でした。   【Faice BooK】再掲   19,07,04  15:09頃   京都ポルタ   iphone7カメラ機能で撮影



 日はぎゃらりーKnulpで開催されていた第72回公募展「鉄道-四季景色- vol.9に足を運びました。会場は谷中のよみせ通りにあり最寄り駅の日暮里からはちょっと不便な所にあるのですがその道すがらに谷中銀座と言う昭和を色濃く残した商店街があり徒歩15分くらいが苦にはなりません。会場に到着すると偶然にも松本正敏プロがご在廊でご自身の作品の説明をゆっくりうかがうことが出来ました。帰りも谷中銀座のお店を冷やかしながら帰宅しました。  【Faice BooK】再掲   19,07,13  15:38頃    日はぎゃらりーKnulp  iphone7カメラ機能で撮影 


 2回も京都鉄道博物館の特別展示(鉄路を翔けた鳳凰)に足を運んだのに、その素晴らしさに浸りたく三度京都へ向かいました。後に私の異常行動を写真を会場で展示された方を介して京都鉄道博物館の方に伝えていただいたと言う事で、話を聞いた京都鉄道博物館の御担当の方は大変呆れ返られていたと言う事でうれしい限りです。
 さて、3回目の京都行は連休でした。中日なので東海道新幹線の自由席はさほど混んでいないと予想していましたが意外にも混んでいてDE2列は埋まっていて3列のA席を確保が確保できましたが、いつもE席に座るのでA席からの車窓の景色も新鮮でした。朝飯を抜いて来たので車内では崎陽軒のシウマイ弁当にビールと言う旅のスタンダードで出発する事に。東京駅でシウマイ弁当を購入すると崎陽軒東京工場製なので弁当のパッケージが横浜工場製とは異なります。どうせなら横浜工場製のシウマイ弁当を食べるのが通だと思い、わざわざ最寄り駅で購入して東京駅経由で新幹線に乗った次第です。   【Faice BooK】再掲   19,07,14  08:41頃    211A車内  iphone7カメラ機能で撮影 



 JRWは駅の売店業務をセブンイレブンに完全委託しています。本来、キオスクは国鉄(JR)の関連会社で親方日の丸が未だに残る体質の会社で労働時条件も賃金もけして良くはありません。JRWは思い切って駅の売店業務を全てセブンイレブンに完全委託する事になってしばらくが経過します。キオスクの売店で働いていた社員はセブンイレブンへ移籍となり、JRWの駅にはセブンイレブンの制服の人が目立ちます。また利用者としてもいつも好んで飲んでいるコーヒーが気軽に駅構内で飲めたり、使用品も見慣れているものが多く便利になった気がします。物流もキオスクだと独自のルートを持っていましたが大きな駅であれば駅前にセブンイレブンはありますから駅の売店の配送と統合が出来て商品の配送などのコストはキオスクより軽減できます。その他一切合切を委託すればJRWとしては願ったり叶ったりになります。まぁ弊害と言えば幹部の退職後の出向先を失う事くらいでしょうか?バックマージンは(たぶん)同じなのでめんどくさくないのも事実です。
 さらにセブンイレブンにしても客数では何処を見回してみてもあり得ない客数がある駅構内の販売ルートを独占出来るのですからJRWにとってもセブンイレブンにとっても美味しい話だと思います。
 さて、話は変わって写真の売店は京都駅山陰線乗場に通じる通路にある売店ですが構造物の制約を受けているのでしょうか?店舗前に大きな段差があります。若い人なら苦にはならないでしょうが、年配者にはちょっと辛い売店に見えました。まぁ~ここで買わなくても周囲にはたくさんの売店があるから不便と言う事にはならなと思います。    【Faice BooK】再掲   19,07,14  11:01頃    京都駅  iphone7カメラ機能で撮影 



 ↑↓なぜ、混雑する休日に京都鉄道博物館を訪れたかと言うと特別展示(鉄路を翔けた鳳凰)の展示期限が間近だったこともありますが平日には開いていない図書室にどんな本が所蔵されているかを確かめたかったためでした。まぁ〜期待はしなかったけどありきたりの書籍しかありませんでした。特に事故に関しての書籍は福知山線脱線事故の運輸安全委員会の報文集だけでした。やはり鉄道の安全は事故から学んで今に生かされています。その点が言えば事故の文献を紐解くと究極の安全が見えてくるはずです。事故の文献の無い図書室には少し呆れてしまいました。仕方なく”これだけですか?”と伺うと図書室に出してある数倍の書籍が倉庫にあるとの事で、事前に連絡しておくとそれらしい書籍を出しておいてくれるそうです。次回は目的を絞ってまた、来るかな?   【Faice BooK】再掲    19,07,14  13:13頃   京都鉄道博物館  iphone7カメラ機能で撮影



 14日は京都鉄道博物館を後にして40年来の付き合いのひとつ歳上の女性と都ホテルのラウンジでお茶をしてから尼崎に住む従妹に逢うために大阪へ向かいました。せっかく京都から大阪への移動なら新快速に乗らない手はありません。何十年ぶりかで新快速に乗りましたが区間に踏切も存在するのに120~125K/hですっ飛ばす新快速のは爽快の何物でもありませんでした。かつて通った山崎―神足の撮影地も健在で(線路際なので立入は出来ませんが)安心しました。知らない間に新設された島本駅に興味深々でしたが下りより上りほうが撮影しやすい様に見えたのが意外でした。下りならJR総持寺駅の撮りやすいのかな?
 関西の在来線はロープ式のホームドアが主流の様で関東にはほとんど見られないので職業柄、これも興味津々でした。写真は吹田貨物駅近くで追い抜いたEF510の貨物列車です。EF510もそうですがEF210-300代とか関東では見れない機関車が見れて新鮮でした。   19,07,14  16:50頃   3289M  iphone7カメラ機能で撮影 
 


 ↑↓17日は不在者投票のために自宅マンションの隣にある区役所へ向かいました。いつも思うのですが不在投票だけを見ると投票率が低いなんて思えない程の熱気があります。18時頃で仕事帰りの人も多く投票場にまでたどり着くのに10分以上掛かりました。まぁ、不在投票までする人はそれだけ熱い人かあるいは組織票として充てにされている人なので投票日に投票に行かない人とは同じくくりにするのもおかしいかもしれませんが・・・?
 写真は不在者投票所と同じフロアに展示されていて戸塚の昔の写真です。↑はたぶん昭和30年代の写真だと推測されますが、当時は宅地化の波も本格的には押し寄せておらず戸塚駅前も典型的な田舎の駅でのんびりしていている様子が伺い知れます。バスが1台停車しているだけですが、手狭な駅前のロータリーではバスの増発もままならず宅地化が本格的に始まると西口はバスセンターを新たに作りました。しかし余地がなく駅からバスセンターまで10分程度歩くと言うアクセスの悪さでしたが商店街はバスに乗るためには必ず商店街を通るために潤ったのだと言われています。
 ↓は昭和40年代の写真だと思います。今は廃止されましたが駅構内には国道1号線の踏切があり戸塚の大踏切と呼ばれていました。道幅が広く、また渡る線路も4本(MS分離後は6本)と言う事で踏切警手もJRになってからも配置されていのした。道幅が広すぎて遮断棒では無理があるために写真でもわかる様にワイヤー式の遮断装置で対応していました。
 列車本数から踏切が開いている時間は僅かでボトルネックになり渋滞が問題となっていました。この頃、総理大臣は吉田茂でしたが大磯の自宅から東京への通勤の際にこの戸塚の踏切で待たされるのが嫌で今の横浜新道を建設したと言う逸話が残っています。ちなみに古い人は横浜新道を未だにワンマン道路と言う人もいます。  19,07,17   戸塚区役所  18:16頃   iphone7カメラ機能で撮影




 ↑↓ヤフオクでこんな水彩画を見つけました。ゴハチの絵柄だったのでちょっと高価にはなりましたが競り勝ちして落札することが出来ました。絵柄は84年の米原機関区公開時のイラストの様です。当時の事をよく覚えている方が後ろの36号機が南側に”つばめ”のマークが、北側に”日本海”のマークが付いていて米原のゴハチにゆかりの”日本海”のマークを南側に着けて欲しかったとフェイスブックでおっしゃってましたが絵ならその編は融通が利くので楽しいかもしれません。落札後、出品者と連絡が取れて教祖様の絵もお願いしたところ、写真を送ってくれれば描きます!とおっしゃってくれました。   【Faice BooK】再掲   19,07,24  12:54頃   iphone7カメラ機能で撮影



 京都アニメーションの放火事件でお亡くなりになった方々には哀悼の意を評すると共に、怪我をされた方の一日も早い回復をお祈りいたします。特に火傷ほど治療が苦しいものはないと言いますので、これからの治療も根性がなくては太刀打ちできないと思いますが頑張って欲しいものです。
 今回の放火の惨状はアニメに興味のない私でさえ衝撃的でした。私たち鉄ちゃんで言えば大井工場の御料車車庫が燃え教祖様と1号編成、更にはクロ157が消失したの同じくらいの衝撃があったのだと思います。アニメに特段の思い入れが無くても日本のアニメが世界的に優れていて、評価されていることぐらいは知っています。ただ”京アニ”と言う言葉は知っていましたが、京都アニメーションのフルネームと言う事は知りませんでした(笑)。
 写真はYahooNewsで見付けた画像ですが外国の方が日本式でお祈りをされている姿に感動いたしました。彼はキリスト教かもしれません。少なくとも仏教信者である可能性は低く、郷に入れば郷に従えとばかりにその彼が手を合わせて祈る姿は心に響きます。   【Facebook】再掲



 廃屋に見えるこのに建物はつい最近までおばあさんが住んでいて天気の良い日には外に陽なたぼっこをしている姿を見掛けた事があります。近所の人も気に掛けている様で近所の人と立ち話をしている姿を見た事もありました。その建物に変化が出てきたのに気づいたのはこの一週間くらいです。おばあさんの姿を見ないなぁ!と思っていた矢先に庭先にユンボが入って樹木をなぎ倒し始めました。おばあさんは亡くなって家を取り壊す事になったのでしょうか?他人事ながら気になります。ちなみに背景の建物が自宅マンションです。    19,07,29  07:44頃   iphone7カメラ機能で撮影


 29日は相鉄試運転を撮影した後に30数年ぶり京急八つ山踏切に寄ってみました。この踏切も将来的には高架化され消滅する道をたどることになります。そして私にとってはこの踏切に横にあった新幹線の車両基地を忘れる訳にはいきません。その車両基地は正式には東京第一運転所と言い私が国鉄に入社して初めて配属された職場でした。踏切から俯瞰するかたちで見た光景はオフィスビルに様変わりして当時の面影を残すところはほとんどありませんでしたが、当時大変お世話になった大先輩の藤谷さん・矢部さん・福田さん・谷合さん等の名前が蘇ってきて、昔の庁舎の方向に向かって思わず声に出して呼び掛けていました。40年前、国鉄が最後の輝きを見せていたその姿と雰囲気をわずかでも体験できたのは私の宝です。     19,07,29   15:20頃    京急品川―北品川    Canon EOS1DX MarkⅡ

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