
この撮影地に着いたら先着の鉄ちゃんがひとりいらして当然、クモハ42の廃回狙いかと思ったら沼津機関区に転属したEF65Pの貨物列車ををお目当てで来た鉄ちゃんでした。EF65Pを撮影後は撤収されこの廃回を撮影したのはご一緒していただけた元都庁の大先生と二人だけでした。 79,01,10 函南 9312M
40年前の01月は飯田線で長らく活躍していたクモハ42009が廃車のため大船工場まで自力廃車回送されると言う事で、その最後の雄姿を撮影しようと撮影に出掛けています。実はこのクモハ42008を含んだ4連は事前に御殿場線の駿河小山駅へ疎開されており大船工場での行程に合わせて廃回されています。駿河小山から大船工場への廃回ならば山北経由が手っ取り早いと思うのですが何故か沼津まで回送されそこから大船入場用の予定臨回8392Mのスジに乗って回送されています。この廃回は御殿場線では御殿場で40分くらい停車があったので今だったら御殿場線で2カット撮影して、東海道線で1カットは撮影出来ると思うのですが当時は免許すらなく函南で1発勝負をしています。
少し余談になりますがこの当時、飯田線の電車の全検は浜松工場だったものの何故か身延線の電車の全検は大船工場が担当でした。なぜ静岡鉄道管理局の電車を東京南鉄道管理局の大船工場で担当したのかは今もって不明ですが、その全検の入出場が頻繁に行われていた故に富士宮―大船間に入出場の予定臨が設定されていました(入場の場合は構内配線の関係で大船で直接工場へ入場出来ないのでいったん横浜まで回送されていました)。この廃回は東海道線内はその予定臨のスジを使った訳です。この入出場のおかけで身延線の旧型電車はときおり横浜まで顔を出していたわけで撮影こそしてませんが横浜駅や大船のホームでは何度も身延線り旧型電車を目撃していた記憶があります。
最後に手元の資料によればこの廃回の編成は←東京 クモハ420009+サハ480024+サハ75101+クモハ51046 大阪→と記録されています。またこの廃回の様子はレイル79/3(通巻12)号に掲載されています(ひだ号は見たかったら自宅マンションにおいでいただければそのレイルをお見せしますヨ!)。