![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/41/cf2cdadbf93cfff1f24f41e3cf2b78ff.jpg)
下館―水海道間の運転だと撮影地は大宝しか頭に描けず2回あったその2回ともに大宝でほぼ同じ構図で撮影しいるのが情けないところです。ちょっと冒険すれば良いもののと思うのはやはり今だから言える言葉だと思います。夕陽に輝きながら回転するロッドには声を失いました。ところでこの列車は関東鉄道内は当然暖欠です。復路はEF81の電気暖房の余熱があるからなんとかなるとして、往路の水海道発はどうやって暖房を確保したのでしょうか?今でも気になります。 86,12,10 関東鉄道大宝 306レ T-Max スキャナー : Nikon COOLSCAN ⅣED
30年前の12月は最初で最後になった関東鉄道へのシナ座乗り入れを撮影しています。この頃、私たち国鉄職員は国鉄に従事し安全を守り続けたプライドを持ちながら4月に控えた国鉄解体・新会社設立に伴う雇用不安が職場に蔓延していました。自分だけ良ければ良いと組織を抜ける者、根も葉もない誹謗中傷を流し自分だけ助かろうとする者、それぞれ家庭があり苦渋だったかも知れないにせよ、人として一緒に働いてきた労働者としてお互い信じられない風潮が職場に流れとても暗い雰囲気が流れていました。しかし鉄ちゃんから見るとこの時期は増収、増収の掛け声の中で今まであり得ない列車が各地で走る姿がありました。そのひとつが関東鉄道に乗り入れたシナ座でした。同然、関東鉄道線内の牽引はロッド式DLのDD502号機でした。運転区間は水戸線下館から関東鉄道に乗り入れて下館ー水海道。この列車が掲載されている局報(今で言う運転報)を見たとき、驚き、嬉しさの゛すげぇ!゛と声を上げた程でした。たしかシナ座の運転は2回、回送も含めれば各2往復だったはずです。この頃、私は大井支所で仕業検査を担当していた記憶があります。まだ仮眠ベットがあり(この直後、綱紀粛正・職場規律是正の波からベットは剥奪され明け方まで労働を強いられる事になります)眠気もあまりなくアケ番で撮影に向かった様な記憶があります。まぁ30年前ですので確信はありませんが・・・晴れたのは前半の運転の復路と後半の1往復だったはずです。前半の復路を大宝駅近くで撮影したにも関わらず撮影地がわからず2回目の運転も大宝を訪れています。たしかに日没が早いこの時期に撮影地は限定されますが同じ写真を2回も撮らなくてもと今は思いますが、まだまだ未熟だった自分にとっては精一杯だったのかもしれません。まぁ~撮影しているから能書きを言える訳で゛撮影しているのだからそれで良いでしょ!゛と言う声が聞こえそう!(笑)