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陽は高いのでほぼ真サイドで光線が当たる場所を見つけて撮影しました。DD51の臨客なんて誰も撮影しなかった時代のひとコマ。 85,04,29 久々野-渚 9903レ ”奥飛騨”
30年前の4月下旬は高山線に客車組成の臨時急行〝奥飛騨〝が運転されると言うので知り合って間もない青抑解様(当時彼はまだ三田の学生でした)と出撃しました。
この頃は既に中央道恵那山トンネルは開通しており高山線もある程度近くになっていました。中津川ICで中央道を降りて国道256ー257号線を経由して高山線に出ました。記憶が正確ではありませんが深夜に出発して現地は早朝に到着した様に記憶しています。到着してすぐ駅で臨時列車を確認するとなんと到着の少し前に下り団臨が通過して行ったと聞いてとても残念だった事は30年経った今でも鮮明に覚えています。
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メインはこの列車でした。上り急行”奥飛騨”です。気動車も予備車まで使い果たした苦肉の列車でしょうが、我々には絶好の被写体でした。今、この場所は国道の整備で撮れないことはないようですが、バイパスがバッチリ入ってしまうようです。 85,04,29 久々野 9904レ
高山線沿線は景色も良く、当時でも珍しかった昼行急行の下り〝奥飛騨〝も光線は高く撮影には適していなかったもののせっかくだからと撮影しました。その後はこの日夕方に高山を発車する上り〝奥飛騨〝まで時間があります。適当にDC82系特急”ひだ”やDC急行”のりくら”を撮影していましたが、いまそのネガを見るとこれらのDCも貴重でやはり”来たものは撮る!”と言う事の大切さを痛感します。
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また゜まだ各地で82系DC特急が活躍していましたが高山線の82系DC特急は地味な存在だったと言う印象があります。 85,04,29 飛騨小坂 5005D