もともと電車の下回り(DT13)ですので非力でタンク車6車はかなりの負荷だったようです。国分信号所からの下り込で一気に加速をつけてここからかしわ台駅構内まで続く勾配を登るために吊り掛けモーター音高らかに走っていったのが印象的でした。 87,01,28 相鉄国分(信)ーかしわ台 902レ
十数年前になりますが私は現場ではない仕事をしていました。非現扱いで制服など支給されず スーツで仕事をしていました。仕事内容は大手企業や旅行会社から依頼を受けた申し込みを受け希望列車を発券する業務でした。この職種では弊社と旅行会社との立ち位置(関係)は微妙な関係にありどちらが世話になっていのかは判断しがたいものがありまさに共存共栄でありました。そのため通常はこちら側から”業務相談会”と称した企業・旅行会社に食事会(一人10,000円程度)をするのが通例でした。しかし相鉄関係の旅行会社(今は統廃合されて会社名すらありません)は逆に我々を接待していただける事がありました。
ある日、相鉄関係の旅行会社からお招きをいただき横浜駅相鉄ホームしたあたりで待ち合わせをしました。こちらは職業柄。相手は接待する側ですから時間通りに集合し、いつも私がプライベートで使うエレベーターで上層階に上がるとエレベーターの扉のすぐ横に目立たないドアがあり呼びベルを鳴らすと内側から鍵を開け、ドアが開くとるそこは完全な高級バーでした。そう、ここは相鉄が所有する接待用のバーでした。
後から知ったのですが良い悪いは別として企業は接待に使う料亭とかバーなどを目立たない場所において置き、政治家や大株主様などの接待に使ったそうです。こうすれば外部に接待費の流れがバレれたりするリスクも少なくなるし接待側の企業にも接待する側の雰囲気で勝手に変える事が出来るので当たり前の様にあった様です。青山勤務時代にはある大手銀行の旅行部門の責任者から”ご担当だけで食事会をしましょう。経費はこちらで処理しますから”と言われ無知な私は銀行なんてケチだから食事会ったったどこかの高級弁当を渡されて食べるだけだろうとほかの人に行かせたところなんと麹町の入組んだ路地の奥に大きな料亭があり、そこで最高級の懐石料理をいただいたそうで”指名代打で送り込んだ奴はいつまでも”美味しかった!”を連発しやがって、後に”俺も行くべきだった”と後悔しきりだった記憶があります。
さて話を戻しましょう。そのバーでは料理も刺身とか肉料理もしっかり調理して出てきた満足して楽しく食べているとそれまでざわざわしていた周囲が一瞬引きました。ふと振り返るとそれなりの人が店内の中央に向かって歩いて来ています。相鉄関係の人はみな立って会釈をしているので”どなたですか?”と聞くと相鉄の社長だか副社長だとかで、後で接待してくれた人に導かれて私も名刺交換をしたのですが、その際に”相模鉄道と言えば相模川で採取した砂利を横浜地区に運んだ事で横浜の街が飛躍的発展したわけで、横浜の明治後期から大正時代などは相鉄なくして発展はなかったと思います。”と言うとその方から”貨物列車が全くなくなった訳ではなく、今でも米軍のタンク輸送は残っているんです。”と言う言葉があり、相鉄にとっては美味しくない仕事もさすがにちゃんと(米軍タンク輸送は)知っているんだぁ!と関した事がありました。
当然、20年前のあの頃と今とは企業の体質が変わり日本独特のビジネス風土も一変し企業コンプライアンスが叫ばれている昨今、こんな接待に徹したバーなどは無くなってしまったと思われます。
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DT200A@CF-Y8
ワム8
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