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22日は伊豆急行の100型103号車を撮影


 半流型とも言えるスタイルの伊豆急100型は昭和30年代の代表車両のひとつと言っても遜色ない車両だと言ってよいと思います。現役当時では当たり前のように様に伊豆急線や伊東線を走っていました。故に撮影する事もあまりなかったのですが、平成の時代になるとわざわざ昭和の車両を撮影に出向く時代になってしまった訳です。    15,03,22 伊豆高原駅構内検修区撮影会  08:30頃  Canon EOS7D MarkⅡ

 22日はいつも大変お世話になっているピー助君から゛伊豆急行100型103号車はのチャーター運転を予定しているのでご一緒しませんか?゛とお誘いを受け、その好意に甘えて参加してきました。
 ご存知の方も多いと思いますが伊豆急行100型103号車は1961年(昭和36年)に製造され伊豆急の普通列車の主力形式として活躍してきましたが2004年頃に一度引退したものの昨今の鉄道ブームに乗って復活した車両です。現役当時はその1Mと言う機動性の良さから増結運用に活用され編成の端に組まれ撮影しやすかったと思われがちですが、実際には編成の中に組み込まれている事が多くなかなか撮り辛い車両でした。特に前パンになる伊東側の先頭に組まれていれ機会はなかなか見当たらず、教祖様が伊豆急行に乗り入れていた時代にかなり頻繁に伊豆急行には撮影に出撃していましたが、伊東側に100型が連結されていた姿はわずかしか目撃していません。
 もともと100型は100系電車の編成に組み込まれて初めて現役当時の本来の姿を現わす事になりますが、既に100系電車のほとんどが既にその姿はなく、わずかに残った103号車が当時を偲ぶ唯一の車両となった訳で゛最低でも4両程度の編成が組めないなら100系に有らず!゛との声も聞こえて来そうですが、やはりは一度は撮影したい車両でしたので参加した次第です。


 撮影会は絶妙な時間帯に設定されていました。まず伊東側(パンタ側)の撮影をして時間が経過して下田側に光線が回り出してからパンタと反対側の撮影と非常に効率よく撮影が出来ました。    15,03,22 伊豆高原駅構内検修区撮影会 08:41頃 Canon EOS7D MarkⅡ

 22日は朝の北側を向いている103号車のパンタ側から陽があたる時間に伊豆高原駅構内で撮影が出来る様に撮影会を実施するために伊豆高原駅に8時集合と常識を逸さた設定になっていました。私なら東海道線の下り1番列車で下ればマニアいますが、通常は伊豆高原駅に8時はなかなかハードルが高くなります。そのために前日に伊東温泉で前泊する事になりました。この前泊の設定はマニアはないからと言うのではなく、どちらかと言うとせっかくだから前夜からワイワイやりましょう!と言うものでした。鉄ちゃんの兵が顔を揃える宿泊のために”鉄ちゃんアスリートの強化合宿”と命名されかなりキツいスケジュールが組まれた合宿になりました。特にとれみょう様の持ち込んだ16番のレイアウトがいろいろ裏技(ナベトロのチョコレート散布や疑似音を発する制御システム等)で我々を楽しませてくれ、酔いもあってハイテンションになり(大の大人が模型を見て満身の笑顔で大笑している光景は素晴らしいものがあります)気が付いたら24時を過ぎて自分は一交勤務の非番(明け番)の身でもあるので慌てて就寝した程でした。
 私以外のアスリートは明け方までカリキュラムを粛々とこなしたそうですが、そんなきびしい環境(不摂生とも言います)でも7時の朝食時間には顔を揃えるのはさすが鉄ちゃんの性と言うところでしょうか?
 8時から1時間の伊豆高原駅構内の撮影終了後は100型の運行区間に合わせて伊豆稲取、伊豆北川等に移動して走行写真を撮影しました。前日まで天気予報にことごとく翻弄されて22日も天気が心配でしたが主催者のピー助君の願いが通じたのか朝から綺麗に晴れて(ピー助君の主催のチャーターは天気に恵まれる事が多く゛ピー助マジック゛と仲間内で呼ばれているそうです。)風は冷たいもののほぼ晴ベースで撮影が出来て乗りもしないのに高額なチャーター代を支払った甲斐があったと言うものです。余談ながら伊豆高原駅構内の検修区で撮影している際に伊豆急側のご担当様から゛本当に乗らなくて良いんですが?゛と念押しがありましたが100型103号車のチャーター列車は何回も走っているでしょうが、まったく乗車なしのチャーター列車ははじめてらしく、ガイド役をする女性も名調子を私たちに聞かせなくて少し不満みたいな(残念がっている)様子でした。
 結局、珍味雲(流れ雲)にやられたカットもありましたが先ずは納得の収穫があり満たされた思いで帰路に着きました。しかし、それからが修行で、春休みの日曜の夕方から夜にかけて伊豆の道が渋滞しないわけがなく伊東から熱海まで2時間(列車なら30分弱)、熱海から石橋が1時間もかかりました。まぁ~私は終日助手席にいたので良いのですが一日運転されていた夜間軌行様のストレスたるや大変だったと察します。やっとの事で乗った西湘バイパスは大磯の出口で少し渋滞したもののほぼ順調だったのもつかの間、新湘南バイパスの藤沢出口が大渋滞!・・・ただここまで来ればホームグランドに入った様なもので藤沢橋から大船の裏に出て裏道から裏道を通り自宅にはなんとか21時に到着。これから千葉に帰る夜間軌行様に横浜新道に乗る裏道をレクチャーしまして、夜間軌行をお見送りましたか、その後夜間軌行様は首都高羽田あたりでビップ警備で抑止に遭遇したそうで泣きっ面に雲だった様です。それでも当初の目標だった23時までには帰宅!はなんとかマニアった様です。


 伊豆北川―伊豆大川の撮影地はゴハチ時代にもその存在は気が付いていましたがまともに撮る事もなく国鉄から機関車が入らなくなりそのまま封印されてしまった撮影地のひとつでした。今回は久々に訪れる事が出来て、大変うれしく思いました。   15,03,22 伊豆北川―伊豆大川 臨319レ 14:34頃  Canon EOS7D MarkⅡ 

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コメント一覧

DT200A@CF-Y8
ワム8様
職場にいるときは忙しそうにしているけど実は暇を持て余している事を暴露するようなご投稿ありがとうございます。またレスが大変に遅れて失礼しました。

 熱海駅の伊東線ホームに100系が停車しているとリゾート列車の雰囲気が醸し出されていていた記憶があります。言われる通りシートがふかふかでしたネ!
ワム8
昭和30年代組にとって伊豆急と言ったら
まずこの車ですね、熱海の1番線ホームが
住処?のようなこのハワイアンブルーの
車体に吸い寄せられるように乗車すると
座席が意外と柔らかく、当時主流だった
80系の固くて埃っぽい座席とは比べ物に
ならなかった思い出があります。
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