かつてこの辺りは南側に高い樹木があり、影で撮影出来なかったと記憶しています。伐採されその後、畑になり現在に至っています。なかなか撮影する機会のない場所ですが良い雰囲気で、お気に入りの撮影地のひとつです。 01,06,05 野沢-尾登 9224レ スキャナー : Nikon COOLSCAN ⅣED
10年前の6月はDD51の中でダントツ(ダン凸?)の人気があったDD51745号機牽引の団臨客レが運転されると言うので磐越西線に出撃しています。
私が磐越西線を撮影しだした頃は6月になると野沢駅から程近い大山祇神社大祭へ向かう団体旅客輸送のために磐越西線の新津側から野沢まで頻繁に団臨が運転されていました。この臨時列車に正式な名称はありませんでしたが私たちはいつしか゛野沢臨゛とか゛大山臨゛と呼んでいました。気動車での運転もありましたが、まだ上沼垂に波動輸送用に14系座席客車が配置され、その14系が野沢臨に駆り出され運転される事が良く見掛けられました。かつて磐越西線の非電化側には定期客レが設定されていましたが、それが廃止されてからは波動輸送用のDD51は745号機のみとなり、必然的に同機が野沢臨を牽引する機会が多くなっていました。
野沢臨は気動車で運転の場合、往路と復路の間合いは新津へ回送される事もありましたが客レの場合は新津側への回送だと機廻しが発生するために会津若松へ回送するのが一般的で、そのために最悪でも野沢駅での乗降での停車時間を活用して追っかけが充分出来、撮影には好都合でした。
しかし効率化のために波動輸送用の14系座席客車は余剰車として扱われて廃車になってしまいました。もう客レの野沢臨は運転されないのかと諦めていたところ、なんと「ばんえつ物語」用の12系客車で野沢臨を運転するとの情報を得る事ができました。
この頃は745号機の引退が秒読み状態だとの噂が真しやかに囁かれていていましたのでDD51745号機牽引の「ばんえつ物語」用客車による野沢臨はまたとないチャンスと燃え(今なら萌え)ました。しかもDD51745号機と「ばんえつ物語」用客車の組み合わせはこの年が最初で最後と言う事はなんとなく察する事が出来ました。その年、何回かあった野沢臨ですがそのうちの一日が何とか晴れそうなので出撃する事にしました。
当時、私は日勤勤務でしたので(日勤教育ではありません…念のため!)仕事に支障がないかぎり翌日でも休みを入れるのは容易でしたが、逆に平日の休みは年休を使うしかなく、いつも年休貧乏状態でその遣り繰りに苦労させられていました。かと言って年休貧乏を嫌って撮影に行かなくなっては本末転倒になってしまいます。いざ出撃!と言う日には後先を考えていたら後悔してしまいます。この日も迷わず「明日は休みます!」と上司に伝えて帰宅した記憶があります。
この頃は50系客レはなかったものの塩川・広田の早朝と夕方の貨物列車もあり、夜明け前に会津に着いていれば一日、DD51で楽しめました。たしかこの時は帰宅し、即出撃したので、その日のうちに会津に着いたと記憶しています。山都駅前で仮眠しようと車を運転していると、飲酒の検問に遭い、警官の要求で免許証を提示すると゛現住所が横浜になっていますから、福島に直してください゛と言われました。深夜に田んぼの真ん中の細い県道を走る車は地元民しかいないと思ったんですかねぇ?…(笑)
最後に野沢臨ですが磐越自動車道の開通により、飛躍的に観光バス利用が便利になったためにこの年を最後にほとんど運転されなくなってしまったと記憶しております。
もう10年前になります。伝説の名機DD51745号機に燃えた一日の思い出でした。
名撮影地:慶徳峠を行く745号機。非力のDD51とは言え、換算両数20強程度の空車の客車では軽々と峠を越えて行きました。ちなみにこの撮影地は私ひとりだけでした。 01,06,05 喜多方-山都 9233レ スキャナー : Nikon COOLSCAN ⅣED
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