
テレビで小名浜港の被害状況を映し出していましたが、福島臨海鉄道小名浜駅よりも陸地側と思われる場所まで漁船が流されて来ていました。果たして福島臨海鉄道の被害はどうなんでしょうか?心配です。 10,12,14 福島臨海鉄道 泉-宮下 57レ Canon EOS7D
大震災(報道機関により東日本大災害とか東北・関東大震災とか今回の地震の名称がバラバラなので、弊ブログではタイトルは東北・関東大震災とし、本文は単に大震災と統一しておきます)の被害状況すら完全把握出来ていない中、15日22:30頃には静岡県東部を震源とした比較的大きな地震が発生しました。富士宮では震度6強を記録しましたが、私はこの地震発生時には震源地から程近い職場で仮眠をしていました。発生時刻はすでに夢の中でかなり深い眠りに陥っていたようです。そこを突然小さな横揺れから始まり寝ぼけながらも゛余震かな?゛と思った瞬間、下から叩かれた様な突然の縦揺れで完全に目が覚めました。たぶん半世紀以上生きた私の経験でも最高の揺れだっと思いました。
仮眠室なのでベッドしかありませんから物が落ちてくる事もなく、さらに横になっていたので体がふらつく事もなく地震が収まるのを待ちました。
さて、こんな大きな地震ですから起きて、職場復帰するのが責任感のある労働者のあるべき姿ですが、労働意欲゛ゼロ゛の私の事、゛まぁイイかぁ…必要なら呼びにくるなぁ!゛とそのままベッドの中で布団にくるまりウトウトしているとドンドンと小走りの足音が近づいて来て゛オ~イ、起きてくれ!゛と同僚が起こしに来てしまいました。
それから大変です。会社施設にも軽微とは言え被害が発生し仮修な等多忙を極め、再度仮眠する時間などなく、勤務が終わる9:20まで一睡も出来ませんでした。

ここ数年は桜が咲けば通っている小湊鉄道にも確実に春はやって来ているはずです。千葉県は津波の被害を受けていますが、おもに内陸部を走る小湊鉄道は被害が少なかった様で、地震から数日後にはホームページに「平常運転しています」とインフォメーションされていました。 07,04,12 飯給 RVP100
さて、気がつけば自宅の周囲は梅は満開に咲き乱れ、菜の花が綺麗に咲いています。そして所々(身近では東戸塚の山側)では早咲きの桜が蕾を膨らませいくつか花を咲かせはじめています。いつもこの時期になると桜と列車を絡めた写真を何処で撮ろおかと、いろいろな撮影地を頭に浮かべてはウキウキしているのですが、今年はそんな気にはなれません。
テレビを見れば目を覆いたくなる被災地の惨状が映し出され、さらに飲み水や暖房にも不自由して避難所いる被災された方々の顔を思い浮かべるととても浮かれて花見や鉄ちゃんどころではないし、それは極めて不謹慎と思ってしまいます。
あと半月から1ヶ月過ぎれば春遅い東北にも桜が咲き、身も心もズタズタにされてしまった被災者の方々の心を慰めると共になにより現地が暖かくなり、寒さに震える事がなくなるので、いつもよりいっそうに春が待ち遠しい思いです。
しかし鉄ちゃん、それも撮鉄にとって撮影に行けないと言う状況はストレスが溜まります。正直言ってフル露出の続くここ数日、体がムズムズする自分があります。あぁ~モードラの快調な音を聞きたい!撮影後の三脚を片付けながら撮影の興奮を振り替える充実感を味わいたいと想いが募ります。しかし、いつから鉄ちゃんを再開しても良いのか、はっきり言って判断に悩みます。避難されている疲れ果てた姿を思い浮かべると、まだまだ撮影が出来る状況ではなく、少なくとも来週末までは大人しくしていようかと思っています。

石巻から女川にかけて津波の被害が特に大きかった地域です。この場所も線路まで津波が来てしまったのではないでしょうか? 07,10,18 沢田 試9633レ RVP100
さて、さらに話変わって、大震災から一週間が経過し被災地ではあらゆる物が不足していると伝えています。しかし陸路を確保しても首都圏から向かっても現地で(帰りの)燃料確保の保証が出来ないためにトラックと運転手を手配し、物質が手元にあっても被災地に迎えない状況があるそうです。ならば動ける(開通している)鉄道網を活用して中継基地まで燃料と救援物質を輸送出来ないのでしょうか?
福島・郡山のオイルターミナルが東北本線黒田原付近の築堤崩壊でタンク車が到着せず、被災地どころか福島県下のガソリン・灯油が底をついているそうですが、手間はかかるものの神奈川県・根岸のオイルターミナルから上越―(新津)―磐越西線経由でタンク車を運転出来ないのでしょうか?さらに岩手県・遠野に支援物資の中継基地を設けたと言う事なので既に開通した羽越・奥羽線―(青森)―盛岡ルートや秋田―北上線ルートを活用し花巻から釜石線での支援物資輸送が考えられます。報道に勤務する友人からの情報によりますと、すでに神奈川県・根岸から首都圏を武蔵野線で迂回し、さらに新潟県に北上し青森経由で盛岡まで被災地向けの石油列車運行が始まったそうです。時刻は根岸を19:44発車し翌日21:51に盛岡貨物ターミナル駅到着するダイヤでタンク車18両編成(軽油9両+ガソリン9両)=約20キロリットルのタンクローリー40台分だにもなり、これだけの量がコンスタントにこの列車が運転されれば被災地でのガソリン等の供給も好転するのではないかと期待が持てます。
これに磐越西線ルートや北上線ルートが確保出来れば物流がかなり改善される気がします。迂回ルートには非電化区間が存在しますが、不幸中の幸いにも吹田には城東貨物線の電化で、厚狭には美祢線不通でそれぞれ運用を外れているDD51が多数あります。検査切れの車両もあるでしょうが、まだまだ動けるDD51もあるはずです。また地上設備も新潟、秋田。それに盛岡なら燃料補給も行えます。さらに運転側もJR貨物以外にJR東日本の協力を得れば確保は難しくないのではないでしょうか?後は国土交通省の認可ですが、それは緊急事態ですから、事後申請(報告)でかまわないと思います。ぜひ実現して欲しいものです。
毎日、報道では被災地に物が届かないとと伝えています。送る側には物資があるのに届かないと言う歯がゆさを解消する決定打が鉄道を活用した輸送だと思えて仕方ないのですが…