近所のパン屋さんの2階に気軽なカフェがあります。
垢ぬけているとはいえませんが、
学生さんがコーヒー一杯で勉強していても、
見守り続けてくれるような気取らない場所です。
今日は、スメタナの「我が祖国」(モルダウ川の流れ)が
かかっていました。
あっ・・・と思いました。
(Guenther FuchsによるPixabayからの画像)
そう、先週の金曜日6月3日は
冬が終わるスメタナの命日の5月12日から1か月続く
プラハ音楽祭の最終日でした。
オープニングはかならず
プラハ音楽祭の最終日でした。
オープニングはかならず
この曲が演奏されることは有名で、
クロージングも
この曲で閉めることが多いようです。
今日は、6月6日。
なんと、粋なことでしょう。
今日は、6月6日。
なんと、粋なことでしょう。
垢ぬけないなんて、大変失礼いたしました。
とても感激でした。
2013年EAPCの発表でプラハに行ったときの
音楽祭の最終日の様子。
市民の皆さんが、心から春を待ちわびていて、
舞台の上には春の花が植えられています。
劇場のサイド席は木の椅子で、
フォルテになると椅子に振動が伝わってきて、
それはそれは高揚感で一杯でした。
日本から簡単にチケット予約ができたのも
驚きでした。
今年も開催されていたようですが、
いつか、こうした日が戻ってきますように。。
話は変わって・・・
(Xuân Tuấn Anh ĐặngによるPixabayからの画像 )
自分を上手くコントロールできないと
感じている・・とお話ししてくださる
がん患者さんが続きました。
共通していることがありました。
がん患者さんの体験記などの
ブログ、ツイッター、FBを
ネットサーフィンするように
毎晩読んでいるというのです。
時には励まされ、
時には新たな治療について知ることができ、
有益な場合ももちろん多いようです。
ただ、治療過程には様々なことがありますから、
予期しなかったような出来事を目の当たりにしたり、
徐々に悪化していく様子やお亡くなりになる経過から
心が離れられなくなってしまい、
辛くなってしまうことが少なからずあるようです。
心が離れられなくなってしまい、
辛くなってしまうことが少なからずあるようです。
心が引きずられていく・・
生活上の事で何かアドバイスはありますか?
と聞かれたら
病院から一歩でたら、がんのことは忘れてください。
と答えます。
と答えます。
一歩でたくらいでは忘れられません・・・
とおっしゃられることもあります。
とおっしゃられることもあります。
そんな時は
せめて、一日の内、少しでもいいので、
がんから離れる時間を作ってください。
と
と
がんに飲み込まれないで欲しい
がんと診断されて、
体のどこかにがんがあったとしても、
すべてががんではないはずです。
心までがんで占められないで欲しいのです。
そして、
治療のための生活ではなく
思い描く人生を現実にしていくために
思い描く人生を現実にしていくために
一緒に治療を選択していきましょう。
それががんに飲まれないということだと思います。
そんな話をしていっています。
そんな話をしていっています。
いつもとても楽しみに読ませていただいています。
「すべてががんではないはずです」
という一言に目からウロコで、ハッとしました。
私自身はがんになったことはありませんが、
いつもそうなったら・・という恐れを抱いているように思います。
そしていったん「癌患者」となったら、
「癌の〇〇さん」というように
まさしく全身ががんのような気持ちに自分自身もなってしまうのではないか、
ううん、それどころかそう思うのが当たり前すぎて
そのことにさえ気づいていませんでした。
そこがガンなだけだもん。
これからはガンにかかったとしても、そう思えそうな気がします。
素敵なコメント、ありがとうございます。
自分らしく生きるって、そういうことなんです。
がんに限らず、何かがあっても、kurokuroさんらしさはけして何かに置き換わってしまうことはないです。
患者さんたちが命を懸けて教えてくれたことです。
お母様は治療を、緩和ケアを受けると選択なさったのですね。
選択するということは自分の生活や生き方を選んだということなのだと思います。
あっぱれです。
支えたyoyoさんも・・
素敵です。
コメント、ありがとうございました!
4年前のことになりますが、義兄を緩和ケアで
見送りました。同い年でした。
義兄が元気だった当初、一番悩んだことは、
どう声掛けをすればよいかということでした。
面会した際にはガンの事には触れず、好きだった
競馬の話などをして、「また来るから頑張って」
というのが精一杯でした。
義兄は、次第に体が衰えてくる中で、まだ蕾が固い
にもかかわらず、桜が見たいと口にしました。
地元のニュースで、数輪の桜が開花していることを知り、
その桜を見に、介護専用タクシーで連れて行きました。
実は義兄は、以前私を案内した枝垂桜の並木道に、
もう一度案内したいという気持ちだったのです。
桜を見に行きたかったのは、むしろ私のためだった
のです。
「喜びを共にしたい」という義兄の気持ちを思い出す
とき、「一緒に生きる」ということが「ガンにのみ
こまれない」ということにつながるのではないか、
そう思いました。
お義兄様のこと、ここにお書きくださり、ありがとうございます。
ヒマヒマノキさんに見せたくて、桜を見に行きたいとおっしゃったのですね。
蕾の時期におっしゃったということは、もしかすると桜が満開に頃には間に合わないか、動けないかもしれないと気づかれていたのでしょう。
おっしゃる通りですね。
ご自身の事で精一杯の時に、思いやりと喜び合うことを忘れないかったお義兄様の心に触れ、生きるとは本当に愛おしいものだと思いました。
心熱くなるお話し、本当にありがとうございました。
aruga
(お読みの皆さまへ、この場をお借りして。
スマホからとPCからではどうも、名前の写真の出方などに差があるようです。特に何かを意図しているものではありませんので、不慣れな故にお許しください。)
私も親もショックです。
管理人様のブログを読んで、とても参考になりました。
私も、もしもガンになったら先生に診て欲しいなと思った記事でした。
緩和ケアが、もっともっと身近なものになります様に祈っています。
いつも素敵な記事を、ありがとうございます。
ご家族ががんの精査中なのですね。
ご心配なことと思います。
ここにお訪ね下さり、コメントを残してくださり、本当にありがとうございました。
応援しています。
aruga
温かなメッセージ、ありがとうございます。
病気がある人もない人も力を合わせていける社会になるといいなと思う日々です。
一緒に作り上げていってくださいますようお力をお貸しください。
ありがとうございました。
aruga