緩和ケア医の日々所感

日常の中でがんや疾病を生きることを考えていきたいなあと思っています

夜と霧ー生きることを考える

2012年08月19日 | つれづれ

緩和医療に関わるようになってから、
今だ、自分の中で納得できるところに至っていない課題があります。



死までの間、生きる意味が見いだせないから終わりにさせてと言われた時、
下の世話になるくらいなら、尊厳はない・・もう死なせてほしいと言われた時、
私の姿勢は・・?

これは、自殺幇助への回答ということではなく、
死を意識した時や
生きている価値の喪失といった
実存的な問題に、
一人の人としてどう向き合っていくかという意味です。





随分前に、といっても緩和ケア病棟に勤務していた頃ですが、
こうした話を患者さんとしていて、
「先生は、フランクルの夜と霧を読んでいるでしょう・・」
と尋ねられたことがありました。

実は、数回手に取り、冒頭を読み始めたことはあったのですが、
アウシュビッツの凄惨さが、あまりに、痛々しく、
読み続けられず数ページで閉じてしまったことが数回ありました。

最近の水曜日の夜、偶然つけたEテレで
夜と霧を取り上げていて、
越えられなかったページの後には、
長年の私の疑問へのヒントがあることを知りました。

そして、やっと、最後まで読み上げることができました。





強制収容所での過酷な労働下。
寒さと飢餓と疲弊とで20cmの段差さえ登ることが容易ではない体。
一人の仲間をかばって、2500人が食事のない1日を強いられたとき、
心も体も疲れ果てた仲間に
精神科の医師でもあったフランクルが求められて話したこと・・



自分たちが生き延びられる可能性はせいぜい5%と話した上で、
未来は未完であり希望を捨て投げやりになるつもりはないこと。

すべてを奪われて、ただ数字で呼ばれる自分たちであるが、
過去は、どのような力でもっても奪うことはできないこと。
豊かな経験は、心の宝物として大切に今、持ちつづけていること。

人間が生きることには、どんな状況でも、意味があることである。

”この存在することの無限の意味は苦しむことと死ぬことを、苦と死をもふくむのだ、と私は語った。そしてこの真っ暗な居住棟でわたしの話に耳をすましている哀れな人びとに、ものごとを、わたしたちの状況の深刻さを直視して、なおかつ意気消沈することなく、わたしたちの戦いが楽観を許さないことは戦いの意味や尊さをいささかも貶(おとし)めるものではないことをしっかりと意識して、勇気をもちつづけてほしい、と言った。わたしたちひとりひとりは、この困難なとき、そして多くにとっては最期のときが近づいている今このとき、だれかの促すようなまなざしに見下ろされている、とわたしは語った。だれかとは、友かもしれないし、妻かもしれない。生者かもしれないし、死者かもしれない。あるいは神かもしれない。そして、わたしたちを見下ろしている者は、失望させないでほしいと、惨めに苦しまないでほしいと、そうではなく誇りをもって苦しみ、死ぬことに目覚めてほしいと願っているのだ、と。”(ヴィクトール・E・フランクル 夜と霧 新版 池田香代子訳 P.138-139)




ドフトエフスキーの 
「わたしが恐れるのはただ一つ、わたしがわたしの苦悩に値しない人間になることだ」
という例をあげ、

”しかし、行動的に生きることや安逸に生きることだけに意味があるのではない。そうではない。およそ生きることそのものに意味があるとすれば、苦しむことにも意味があるはずだ。苦しむこともまた生きることの一部なら、運命も死ぬこともいきることの一部なのだろう。苦悩と、そして死があってこそ、人間という存在は完全なものになるのだ。”(同 P.113)

こう書きつつも、収容所にいて、生きしのぐことができるのか、
できないなら、この苦しみや死には意味がないのではないか・・

このようないくつかの葛藤の先に・・

私には、まだ、その意に到達できず、
反芻し続けている言葉があります。

”「生きていることにもうなんにも期待がもてない」こんな言葉にたいして、いったいどう応えたらいいのだろう。

  生きる意味を問う

ここで必要なのは、生きる意味についての問いを百八十度方向転換することだ。わたしたちが生きることからなにを期待するかではなく、むしろひたすら、 生きることがわたしたちからなにを期待しているかが問題なのだ”
(中略)
もういいかげん、生きることの意味を問うことをやめ、わたしたち自身が問いの前に立っていることを思い知るべきなのだ。 (中略) 考えこんだり言辞を弄することによってではなく、ひとえに行動によって、適切な態度によって、正しい答えは出される。 生きるとはつまり、生きることの問いに正しく答える義務、生きることが各人に課す課題を果たす義務、時事刻々の要請を充たす義務を引き受けることに ほかならない。
(中略)
それは、生き延びる見込みなど皆無のときにわたしたちを絶望から踏みとどまらせる、唯一の考えだったのだ。(中略)わたしたちにとって生きる意味とは、死もまた含む全体としての生きることの意味であって、(中略)苦しむことと死ぬことの意味にも裏づけされた、総体的な生きることの意味だった。” (同 P.129-132)






「生きることがわたしたちからなにを期待しているかが問題なのだ」


今日、学会の会議への往復の電車の中で、
この本を読みながら、この一行を
何度も何度も繰り返しなぞっていました。

そして、この意味を自らに問うています・・

到底その苦しさに及ぶものではないにしても
その最中にいる方々から、
あなたは渦中の人ではないから・・と言われないように
私もいずれ死が訪れる等しい者として
心を研ぎ澄ましていこうと思います。



鎮痛薬を使いこなせる勉強を続けることはもちろんですが、
こうした実存的な苦悩に向き合うことも、
大切な日々の糧だと感じています。

そして、フランクルをはじめとする多くの方々の凄惨な体験によって
気づき、考える機会が与えられていることに心から感謝します。


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6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
私も読んでみます (fugu)
2012-08-20 14:56:48
偶然、先日、友人からこの本を薦められました。アウシュビッツと聞いただけで、私は読めないと思いました。でも、読んでみます。
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苦悩 (S.aiki)
2012-08-20 20:12:19
いつも拝見しています。

苦しんだ末の行き着く場所が「死」であるのに

何故我々は死ぬまで苦しみ続けねばならないのかと

日々の診療の中で苦悩しています。

それの答えを見出した人、

悟りを開いた人、

そして苦しみ続けた人。

百人百様の答えを

患者さんは身を以て教えてくれます。

それを決して無駄にしないよう

次の患者さんの、そして私自身の糧となるように

していきたいと思います。
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fuguさん (aruga)
2012-08-20 23:06:03
この本の凄い所は、フランクルはほとんどナチスという言葉は使わず、そして、自分の時間や家族を奪った人々に対する怒りや憎しみは、批判も含めて記載されていないところです。
強いストレス下の自分の心の動きを中心に、まるで症例報告のように記録しています。

是非、感想をシェアしてください。
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S.aikiさん (aruga)
2012-08-20 23:17:50
コメントありがとうございます。
私も同じようによく感じます。
患者さんのあまりの生きざまに立ちすくしつつも、そこから学んだことを次の人に生かしていくことが、患者さんのいのちを生かし続けることだと感じます。
この繰り返しは、私たちをも育ててくれます。
決意ともとれるS.aikiさんのメッセージに、改めて、背筋が伸びる思いです。
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公共放送局教育チャンネルで取り上げられていました (KAYAU)
2012-08-23 20:39:17
ジャストミートしたかのように、番組がありました。
フランクル氏の70年代にトロント大学での講義の模様、晩年のインタビューがありました。
「苦悩することは、人間の行為として最高に崇高な行為だ」という氏の言葉は重いと思いました。
人間として究極の限界の中でも思索を止めず、意味を問う姿を観た、とも、思いました。

自分の中で、人間の「可能性」と「前向き」と「希望」について、考え直さなければならないのではないか?と思わずにはいられませんでした。

本を読もうと思いました。
先生、記事にして下さってありがとうございます。
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KAYAUさん (aruga)
2012-08-25 14:52:25
私は先週の番組は見損ねてしまいました。
29日の再放送かオンデマンドかで見たいと思っています。

フランクルの講義風景が見られるのですか。
それは何としても見なければ・・

仕事も溜まっているのに、ブログに時間を割いていいのかなあ・・と時々思うことがあります。記憶にとどめておきたい言葉などの備忘録として、この時間は別について考えようと最近自分に言い聞かせています。そんなときに目にした「記事にして下さってありがとう」という言葉は、どんなに嬉しく、温かにしてもらったことでしょう。
書き続ける意味を心に刻んだ一言でした。
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