長男の卒業式での
校長先生からの式辞
~『時は、過ぎ去るものではなく
積み上げていくものである。』
そう気づいたとき、足元がスッと落ちていくような錯覚におそわれました。
それは、白神山地の林に迷い込んだような、
あるいは、深海に落ちていったような、そんな感覚でした。
思い出せない記憶・・
私達は振り返えるとあるエピソードとして思い起こせるものがあります。
その一方で、積み上げて行った時間には
思い出すことができな記憶があり
それが、私達に厚みを持たせ
人生には大変大切なことなのです。
教育とは、この思い出せない記憶を
どれだけ生徒に与えることができたかということなのです。~
私の記憶にとどまっている言葉で書きましたから
ニュアンスは異なるかもしれません。
卒業式の後の、祝う会では
思い出せない記憶という言葉は
茂木健一郎さんからの引用で
ある理由から卒業式ではそのことを言葉にすることは
控えられたと付け加えられました。
長男の卒業に当たり
保護者として本当に残念なのは
保護者会の度に
毎回、素晴らしい話を聞かせてくださっていた
この校長先生の話が聞けなくなることでした。
時は、流れ去るものではなく
積み上げていくもの・・
無意識の体験が人生を豊かにしてくれること・・
日ごろ感じていたことに通じるものがあり
心が揺り動かされた言葉でした。
義父の病気がわかり
今日は、これから故郷の病院に行きます。
その近くには、有賀峠というところがあり
ルーツを感じます・・
日頃恩返しができていないのですが
お役に立てるといいなあと思っています。
私は、無為に、やり過ごしてしまった時間があまりにも長くなっている気がしています。
茂木健一郎の「脳と仮想」という本に
『記憶というのは、それが思い出せるかどうかが本質なのではない。むしろ思い出せないからこそ切実な記憶というものがある。 思い出せない過去という巨大な仮想の上に、「今、ここ」の私は生きている』
という一文があるそうです
茂木さんの本かどうかは分かりませんが
『私たちは思い出せない記憶に関する膨大な痕跡が自分の中にあるから、何が起きるかわからない未来にも向き合える』
時は積み上げていくもの…
私なりにも積み上げていけているのかしら?
こう書きながら、茂木さんの本を読んでいない私は、校長先生の話にも、このような内容が盛り込まれていたことを改めて思い起こしました。ありがとうございます。読みたいなあ~って好奇心をそそられています。
ぴょんさん
意識に中に為を見つけられない今であっても、いつか、それが有為なものと気づくことがあるのかもしれません。ebiさんの書いてくださった文章を読んでさらにそう感じたしだいです。やり過ごしているようで、それはぴょんさんにとって大変大切なことなのかもしれませんよ。