ネボ山からみた死海、その向こうの岸はイスラエルでエルサレムの方向であり、カナンの土地にあたります。右には死海に注ぎ込むヨルダン川が見えます。真ん中右のやや緑が見えるところがエリコです。
その同じ日に、主はモーセに仰せになった。「エリコの向かいにあるモアブ領のアバリム山地のネボ山に登り、わたしがイスラエルの人々に所有地として与えるカナンの土地を見渡しなさい。あなたは登って行くその山で死に、先祖の列に加えられる。兄弟アロンがホル山で死に、先祖の列に加えられたように。あなたたちは、ツィンの荒れ野にあるカデシュのメリバの泉で、イスラエルの人々の中でわたしに背き、イスラエルの人々の間でわたしの聖なることを示さなかったからである。あなたはそれゆえ、わたしがイスラエルの人々に与える土地をはるかに望み見るが、そこに入ることはできない。」
(申命記 32章 48節 ~52節)
(アロンが死んだホル山は、ペトロにあります。)
ヨルダンに行きました。
直行便はないので、ドバイで乗換だったのですが、
そこで無性にマックが食べたくなりました。
ドバイの通貨を持っていなかったので、
カードで払っていいかと聞くと、
もちろん!
とのこと。
カードを差し出すと・・
日本人?
そうだけど・・
(また、このカードが怪しいとか言われちゃうのかなあ・・)
アメリカに居たとき、住友銀行も三井も、
そんな銀行はしらないから、
そのカード使えないと言われたことがありました。
信用ないんだな~ 日本の銀行って・・
まあ、1995年頃の話ですけれども。
今は、pinコードなどのセキュリティが強化されていますから、
そんなことはないと思いつつ・・
本当に、大変なことで、私たちも心を痛めているよ。
(!?) 地震のこと?
そうさ。それで、どうなの?
Terrible・・
そうか。あなたは、何か被害にあったの?
東京だから、ちょっと離れていて、大丈夫。
よかったなあ・・日本の人達のために、祈っているよ。
ありがとう・・本当にありがとう。
カウンター越しの僅かな間の会話でした・・
涙がでそうになるほど嬉しかった・・
ほんの乗換で立ち寄った所で、
こんな風に、お見舞いの言葉をかけてもらえるとは思ってもいませんでした。
心をギュッとハグされたような、
そんな感覚でした。
旅行中、とても丁寧なお見舞いの言葉を沢山の国の方からいただきました。
そして、その期間中、ニュースで
ビンラディンが殺害されたことを知りました。
現地のニュースも淡々と事実を伝えていましたが、
街の人達は、そのニュースに触れることはありませんでした。
帰国した後、歓迎と憎悪が入り混じったニュースをみて、
いかに、ヨルダンのニュースが中立的だったかということを
知りました。
アメリカ寄りの国とはいえ、
ヨルダンも中東の一員でしたから。
ヨルダンでは、
死海は、まさに、死んでいる海でした。
何も生物は生きることができず、その回りも荒野でした。
モーゼが亡くなった(終焉した)ネボ山から
エルサレムの方向を眺め、
クムランの場所を見渡し、
ヨルダン川でヨハネが洗礼を施す様子を思い浮かべながら
南下していきました。
案内してくれた現地の方に
ぺトラに立ち寄ったとき、
”何故、人々は岩場を住処としたの、水も食料も困るだろうし・・”
と尋ねたところ
”ん??? だって、柔らかな砂より余程住まいに適しているではないか
この後、砂漠に入るから、実感できるよ”
と言われ、
ああ・・ここでは、砂漠は岩場のいずれかの選択が当たり前のことであって
私の質問は、いかにここに住んでいる人々の目線でなかったことかと
感じ入ることもありました。
聖書にも出てくる荒野・・ desert
かつては、ブドウや松が生えていたこともあり、
砂漠というより、荒野として聖書には描かれています。
シルクロードの出発点として交易で栄えた荒野でもありました。
岩場と砂が風で形を変えながら、荒れていました。
エジプトからネボ山へ通じるモーゼの道だったかもしれない・・
と想像豊かにしながら。
イエスが修行のために荒野に入ったというくだりを思い出しながら。
自然は、けして、人に優しいものではないということを実感しつつ、
そうした土地に生きる人々の自然との折り合いのつけ方は
人も自然の一部であることを思い起こさせてくれました。
荒野に暮らす人々の住まいはしっかりしているテントではありますが、
壊れれば、すぐに作り替えることもできるような簡便さも持ち合わせています。
ヨルダンの8、9割は砂漠の国で、
帰る飛行機から見えたモンゴルや中国も
岩や砂の色が多く、
数少ない雲間の切れ目からみた限りですが、
日本ほど緑が豊かに見えた国はありませんでした。
自然は人を癒すものだと思い込んでいたようです。
自然の中で生きるということは、
自然に破壊されることもあり
どう共存するか・・
紀元前から人はそうして生き抜いてきたのだということも含め
改めて感じた旅でした。
これからも、わからない事がたくさんあると思いますので、先生のブログを通して教えていただければと思っていますので、よろしくお願いいたします。
PCUでご勤務されるようになったのですね!
男性の乳がんですか。頻度は少ないですが、症状や病勢は勢いがありますから、ご苦労されているのではないでしょうか。
左上肢の浮腫でしたら、右液下、左鼠蹊部へ道を作れないでしょうか。右液下から左方向へ、左鼠蹊部から上方へ、皮膚を揺らすようなマッサージをしていくのですが、道ができると、浮腫のサイズは変わらなくても、リンパ液が動くせいか、気持ちいいと患者さんはおっしゃいます。
文章では、わかりつらいですね・・
話は変わりますが、私は4月から緩和ケア病棟で勤務しています。その患者さんのことなのですが、男性の乳がんで現在左上肢のリンパ浮腫で苦しんでいます。もちろん痛みやしびれをとるように薬や貼付剤でコントロールしていますが、なかなかうまくいかず、こんなに苦しいなら、いっそ早く楽になりたいと言う言葉が聞かれたりします。少しでも穏やかな気持ちで過ごしていただきたく、タッチングしたりして、眠れるまでそばにいたり、昼夜関係なく、関わっているのですが、なかなか症状緩和ができないためか、気持ちの揺れも大きく悩んでいます。
リンパ浮腫の影響なのか、胸水で左肺も真っ白です。個人的なことですみませんが、どうすればその患者さんが少しでも気持ちが穏やかに過ごせるようになるのか、教えていただきたいのです。よろしくお願いします。
やや個人的な内容だったので、表には出しておりませんが、ご容赦ください。
これからも、どうぞ、宜しくお願いいたします。