緩和ケア医の日々所感

日常の中でがんや疾病を生きることを考えていきたいなあと思っています

宮崎での二つの再会(2)

2009年06月02日 | つれづれ

もう、10年位前になるでしょうか。

今とは違う大学の緩和ケアを立ち上げていた時
歯科口腔外科の病棟で
20代の舌がんの患者さんを
歯科の主治医・担当医A先生といっしょに看取ったことがありました。



緩和ケア病棟でのケア以上のケアに
スタッフもA先生も私もかかわっていました。

長く、ゆっくりとした時間が過ぎる中、
若い女性をケアしながら見守っていくことは
それは、緩和ケア病棟で何例もそのような症例を経験していた私でさえ
苦悩と葛藤の時間でした。

年齢に差のないA先生は、さらにお辛いことだっただろうと思います。

患者さんは体のすべてのエネルギーを使い果たして
亡くなっていきました。

最期の時、今もはっきりと覚えています。

A先生は、カルテに確認した時間と共に
「旅立たれた」
と記載していました。

急性期病院の中で、
抒情的な最後の一文をみたとき
緩和ケアの看取りは、ホスピスや緩和ケア病棟でなくとも
同じレベルのことができるんだ・・・
そう、実感しました。

緩和ケアがまだ、緩和ケア病棟に限定されていた時代の
急性期病院でのチャレンジの手ごたえを感じた出来事でした。





それから、しばらくして、この時の歯科のA先生から連絡がありました。

医師になることを決心した・・
医学部に入学したと・・




本当に驚きました。
私にとっては、歯科医も医師の仲間でした。
でも、それでは足りないものを感じられたのでしょう。
6年間の歯科を卒業し、歯科医師として活躍されていたのをやめ、
6年間の医学部に入学されていました。




そして、
今回、
宮崎大学の講堂に入ったとき・・・
覚えがある顔が
私を迎えてくれました。

まぎれもない・・
・・A先生、その人でした。




無事、卒業され、
今、研修医1年生なのだそうです。

講堂でのあわただしい時間の中で、
互いに走馬灯のように、
これまでの出来事が蘇ってきたことが理解できました。

あまりに、予期しなかった出来事だっただけに、
今回、再会できたことが
どんなに、感動的なことであったか、
今、改めて、かみしめています。




かつて、出会った方から、
あの時、先生に出会えたから、
今の自分がありますなどと話されると、
言葉にならない嬉しさを覚えます。

10年前、その大学病院で、
あきらめないで道なき道を何度も行ききしてきた甲斐があったと思います。




宮崎から羽田について、その足で聖路加病院へ行き
緩和ケア研修会のお手伝いをし、夜帰宅しました。

今、一息ついて、
過日の出来事を しみじみ振り返っています。


コメント (10)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 宮崎での二つの再会(1) | トップ | どの程度、心に入って行けば... »
最新の画像もっと見る

10 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
お疲れさまでした。 (ちー)
2009-06-02 23:29:32
急性期病院でのお話、私の働いている病院も急性期病院なので考え深く読ませていただきました。急性期の患者さんがおられあわただしく過ぎ去る時間のなかで大切な時間を過ごされているターミナル患者さんとご家族にいつも申し訳ないなぁ…と反省することばかりで。最期にここにおられて幸せだったかなぁ…といつも振り返り反省しています。
来年度、認定看護師を目指してみます。一人でも多くの人の笑顔がみれますよーに。。。
返信する
ちーさん (aruga)
2009-06-02 23:33:23
早速のコメントありがとうございます。
認定看護師さんを目指されるとのこと、本当に心強いです。ぐ=っと後押しされるような感じです。
返信する
はじめまして。 (ゆめ)
2009-06-03 11:28:09
脳脊髄液減少症患者で、同じgooで闘病記書いていますゆめと申します。

よろしくお願いします。

脳脊髄液減少症も
早く早期発見、早期治療、
そして、日常での闘病生活での症状の緩和ケアに取組んでくださる医師や看護師さんが増えてくださる日が来てほしいと願っています。

今、脳脊髄液減少症治療に取り組む医師たちは、殺到する患者で治療をこなすので精一杯で、
患者の闘病生活での痛みなどの緩和にまでなかなか手がまわらないのが現状です。

脳脊髄液減少症は本当に痛いのです。

私は布団に背中が触れるのも痛くて、
そっと寝なければなりませんでしたし、

脊髄の中を虫に食い荒らされるような移動する痛みも経験しました。
何より、病名もその症状の過酷さも、地域の医師にさえ、理解されていない現状が、とても悲しくつらい毎日です。

返信する
病院勤務の薬剤師です (toko)
2009-06-03 21:23:37
先生、緩和医療学会に行けることになりました。
関西に住んでいるので近いのですが、金曜日の平日とあってあきらめていました。が、部長からお許しが出て・・・・
中ノ島公会堂での麻薬研修会、昨年の緩和医療薬学会に続いて3回目です、先生にお目にかかれるの・・・・。楽しみにしています。





返信する
こんばんは (ちー)
2009-06-03 22:40:00
ゆめさん、はじめまして。

痛みがあってお辛いとき、どんなナースなら救われますか?生の声ほど参考になるありがたいことはありませんから。よければ教えてください。

私は患者さんやそのご家族に寄り添えるナースになりたいです。
返信する
Unknown (かぼちゃちゃ)
2009-06-04 19:35:05
2年前再発し、医師・看護師に優しくしてもらい、とても心強く治療できました。そして、医療関係に興味を持ちました。今年3月末、会社都合により退職となり、思い切って医療事務の資格習得のため勉強を始めました。講義終了、試験も受けたのですが、残念ながら再々発となり医療につくことはできませんが、人を見て感動して、大きな活力に変えたこの方のお気持ちお察しいたします。頑張って欲しいです。
返信する
お邪魔します☆ (ちー)
2009-06-04 23:03:14
人に優しくできる人っていいですよね!会話をしていて言葉からにじみ出る優しさ、に私は“この人は温かい人だなぁ”って感動し尊敬をしてしまいます(*^□^*)
緩和ケア医の林先生のセミナーに参加したことがあるのですがこの先生は声のトーンとかチョイスする言葉が優しくて感動しました。
私ももっともっと内面を研いて頑張ります!
返信する
コメントありがとうございます (aruga)
2009-06-04 23:15:05
ゆめさん
はじめまして。
お立ち寄りくださり、本当にありがとうございます。
お察しするにあまりある苦しい日々ではないでしょうか。お体が少しでも楽に過ごせる日を祈ってやみません。

tokoさん
こんにちは。
学会で、お目にかかれそうですね。
秋の緩和医療薬学会にも行く予定です。

ちーさん
こうして、繋がりが広がって行くと嬉しいです。寄り添える医療人。温かい言葉。簡単な言葉のようで、本当に深く、大切な言葉だと改めて思います。

かぼちゃちゃさん
再発がかぼちゃちゃさんがステップアップなさる原動力になったのですね。負を正に変える力を感じました。再々発されたとのこと、色々なことがよい方向にいきますように。
返信する
すばらしい (わたけい)
2009-06-05 22:32:55
A先生の状況と自分状況を照らし合わせて、自分の方が甘い状況であるとは思いながら、メールせざるを得ない気持ちになりました。私は外科医を13年目で転換し、研修医から意識していた緩和ケア医になるべく千葉で研修中です。A先生はドラスティックな転換に勇気が必要だったと思いますが、それを見た先生は感慨ひとしおだったと愚考します。特殊ではありますが、自分もそのような熱い関係の同僚との関係を築きたいと思いました。
返信する
わたけいさん (aruga)
2009-06-06 23:14:38
コメントありがとうございます。
多くの医師がそれまでの診療科での経験で十分緩和ケアに精通していると自己評価される中、外科医から緩和ケア医に転換され、研修をなさっていると知り、心が熱くなりました。
真の専門医を目指していらっしゃると思いますと、千葉で指導されている先生は、何と誇らしいことでしょう。
いつか、きっと先生にお目にかかることができると信じています。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

つれづれ」カテゴリの最新記事