めぐり逢ひて 見しやそれとも わかぬ間に 雲がくれにし 夜半の月かな
百人一首 57番
今風に言うと・・
久しぶりにお目にかかれたのに それがあなただと気づく間もなく帰ってしまわれたのですね まるですぐに雲隠れした夜半の月のように
人間らしさ満載の源氏物語の
紫式部にしては
紫式部にしては
何だかさらっとした句だなあ
と、思っていた私・・
新古今集:雑上1497番の歌
紫式部集にも収載されています
紫式部集にも収載されています
この歌は
父為時に越前に同行していた頃の
ものとされています。
歌の背景が記述されている詞書
新古今集では7月
紫式部集では10月
と、記載されていますが、
7月が正しいだろうとされているようです。
夏の月ですね・・
夏の月ですね・・
そして、久しぶりに会った人は
幼馴染だと記述されています。
それは女性だろうと
推察されてきました。
推察されてきました。
でも・・
大河ドラマ「光る君へ」を観て
大河ドラマ「光る君へ」を観て
来てすぐに帰ってしまったのは
実は、道長だったということは
ないのだろうか・・
と・・・
想いを馳せています。
想いを馳せています。
PexelsによるPixabayからの画像
今年の「光る君へ」も楽しく毎週見ています。
今夜の一条帝もそうでしたが、人が亡くなる時ドラマの中では必ず辞世の歌を詠んでいます。
後世の人間としては、辞世の歌を読んでその人となりに想いを馳せることができます。
しかし、亡くなる時に歌まで詠む、というのは大変なことだなぁと思いました。
人生を振り返る歌を詠んでこそ、次の世界に行けるという決意のような意味もあるのでしょうか。
人生の最後に自分はどう向かうのだろうか。
歌を詠むのがマストという時代でなくてよかった。
いろいろ考えながら、最終回まで楽しく伴走していきたいです。
まさに!
それは確かに大変なことです!!
行成の権記と道長の御堂関白記とでは、一条天皇の辞世の句が少しずつ違うのだそうです。
行成の記録は、君とは定子を指していて、道長のものは、遺される彰子を意味するような句になっているとか。
死に際の句といいつつ聞き取り辛いものでもよく聞こえたものとして、よいように政治利用したのかも…などと(勝手な憶測で)心を馳せています。
実に的を得たコメント、ありがとうございました!
手元に、佐佐木信綱校訂『新訂 新古今和歌集』(岩波文庫)があります。
それを参照しますと、百人一首の歌の出典としては、雑歌上1497で載っています。
雑歌上1499は、奇しくも藤原為時の歌です。
また、出典である新古今集、紫式部集では、結句が「夜半の月影」で載っていますね。
「百人一首」の解説本の多くは「夜半の月かな」で歌を載せています。手元の数冊もそうです。その中で全訳注・有吉保著『百人一首』(講談社学術文庫)も、「夜半の月かな」で載せていますが、「鑑賞」の項で、「月影」の方が優れており、本来はそれが原形であったとみられる、と述べています。
一方、手元にある解説本の中で、島津忠夫著『百人一首』(角川日本古典文庫)と『新版百人一首』(角川ソフィア文庫)の2冊、安東次男著『百人一首』(新潮文庫)、高橋睦郎著『百人一首 恋する宮廷』(中公新書)は、紫式部の歌そのものを「夜半の月影」で載せています。月かな、月影、の二通りで出版物がでているところがおもしろいと思います。
安東次男は、”近世の諸本では「月かな」としたものが多い。誤写の形がそのまま伝えられたものだろうが、「月かな」では第一、源氏物語の作者らしくない”と記し、その後に解釈を加えています。
「めぐりあひて・・・」の歌。手元に南波浩校注『紫式部集』(岩波文庫)があります。第一番に載る歌ですね。本書の脚注を参考に読みますと、この歌は紫式部の少女時代、都に居るときの詠歌のように私は受け止めています。受領階層の会者定離。
第15番歌が北国越前へ行く予定段階、第18番歌が、詞書から武生にて、第20番歌から琵琶湖を船で渡るときの叙景が詠まれていますので、これは越前への旅の途次でしょうか。
時系列通りではなさそうですが、この第15番あたりからが、越前への同行に絡んだうたかな、と想像しています。
「光る君へ」は、かなりドラマチックに脚色されていますね。おもしろいですが、ちょっとやりすぎかも・・・と感じる側面もあります。
単に素人の解釈と感想ですが。
道長役の柄本佑さん、大和絵などで見る肖像画によく似たかんじのお顔だなあと・・そちらもかんしん(感心)しています👀
あと8回で終わるみたいですね☆
とても専門的なことを教えてくださり、ありがとうございました!
雑上の番号、時間を見つけて修正したいと思います。
コメント、重ね重ねありがとうございました!!
頂いたコメントに、うんうんと頷いています。
ありがとうございます!
否定されていない史実には、大胆な解釈でそうきたかーと驚きつつ、そのうち物語としてしっくりくるあたり、脚本マジックですね!