名取熊野三社巡りの二社目は、熊野神社。
熊野本宮社から車で数分。
保安4年(1123年)、紀州・熊野を模した名取熊野三社の一社で、熊野新宮社として創建。
東北地方の熊野信仰の中心として、隆盛を誇り、後に名取熊野別当が設けられ、信仰と軍事的にも大きな権力を持つに至った。
中世、歴代の伊達家当主の保護を受けた。
名取熊野三社の中でも、最も中心を成していたため、熊野本宮社・熊野新宮社・熊野那智神社を合祀し、熊野神社となる。




拝殿の前には、池があり、神楽殿があるという、宮城ではなかなか見られないほどの境内。

神楽殿の横には、弁財天。


参道には、別当寺の名残である、文殊堂


何度かのお参りだが、毎回境内裏のゲートボール場では熱戦が繰り広げられている。
車はそこへ停めるので、車から降りるとき、一斉に視線が・・・・・・
お参りして、御朱印をいただきました。
社務所の入り口に、書置きがぶら下がっていて、初穂料を納めて受け取りました。
熊野本宮社から車で数分。
保安4年(1123年)、紀州・熊野を模した名取熊野三社の一社で、熊野新宮社として創建。
東北地方の熊野信仰の中心として、隆盛を誇り、後に名取熊野別当が設けられ、信仰と軍事的にも大きな権力を持つに至った。
中世、歴代の伊達家当主の保護を受けた。
名取熊野三社の中でも、最も中心を成していたため、熊野本宮社・熊野新宮社・熊野那智神社を合祀し、熊野神社となる。




拝殿の前には、池があり、神楽殿があるという、宮城ではなかなか見られないほどの境内。

神楽殿の横には、弁財天。


参道には、別当寺の名残である、文殊堂


何度かのお参りだが、毎回境内裏のゲートボール場では熱戦が繰り広げられている。
車はそこへ停めるので、車から降りるとき、一斉に視線が・・・・・・
お参りして、御朱印をいただきました。
社務所の入り口に、書置きがぶら下がっていて、初穂料を納めて受け取りました。
