新説百物語巻之二 8、坂口氏大江山へ行きし事
坂口氏が大江山の洞くつで怪異にあった事
丹州(丹後:京都)の福知山の辺に坂口なにがしと言う侍がいた。
その所の地頭よりの差配で栂井氏の娘をもらって、何の不自由もなく暮らしていた。
ある時、おなじ年頃の友達が四五人いて、折々は会っていた。
夜ばなしなどをしていたが、ふとその中のひとりの友がこう言った。
「大江山の洞穴は、今に至っても、入ればあやしい事がある、と言い伝えられている。ふしぎな事である。」
それを、彼の坂口なにがしが聞いて、
「それはおもしろい事を聞かせてもらった。
それがし近日に見て参ろう。」
と言った。
皆々、
「それは、いらぬ蛮勇である。絶対に行かない方が良い。」
と言ったので、その夜は、そのまま聞いておいた。
坂口が、つくづくと思ったのは、何ともふしぎなる事であるかなと。
こっそりと見て来ようと。
そして、女房にも外へ行くと偽って、大江山の洞穴におもむいた。
先づ洞の口を十間ばかり行く間は、殊の外せまかったが、その後次第次第に道も広くなり、およそ二町(一町チョウは60間ケン。二町は約218m)ばかり行くと思えば、十間弐拾間(ジュッケン、ジュウニケン:18m、36m)もの間を置いて石の燈台があった。
上からは、ただ水の雫がポタポタと落ちて薄暗く、冷や冷やした風が吹いて来た。
その臭いは、はなはだ生臭かった。
それを我慢して、更に四五町進んで行くと洞の内がかなり明るく、向こうから川音が聞こえてきた。
しばらく腰をかけて休んだ、そのかたわらに思いもよらぬ女のさしぐしが一つあった。
蒔絵が施されていたが、石の上にあった。
さしもの坂口もぞっとして、何とやら身の毛もよだち、それより帰ろうと思った。
何とも不思議なことであると、その櫛をふところにいれて帰ろうとした。
最前に来た時にはなかったが、あるいは笄(こうがい)または香箱などが落ちていた。
何となく見たことがある様に覚えて、ことごとく拾ってから戻って行った。
もうすこしで洞(ほら)の口へ出るかと思う頃に、今切ったと見える女の首が、道の真中にあった。
よくよく見れは我が女房の首であった。
坂口は大いに驚きながら、仕方なくこれも持って、我が家に帰った。
表より家の内を見れば、女房は、いつもの様に針仕事をしていた。
それで、手に下げた首を見れば、大きな自然生(じねんじょ)の山の芋であった。
洞窟での出来事を女房に語って、その櫛などを見せれば、女房の長持に入れておいた手道具であった。
最前の友だちを呼び集め、始終を語れば、皆皆きもをつぶした。
この坂口は、後に京都に来て住んだ。
そして、元文(1736から1741年)の始めに亡くなった。
わたしは、坂口から直接に、この話を聞いた。
坂口氏が大江山の洞くつで怪異にあった事
丹州(丹後:京都)の福知山の辺に坂口なにがしと言う侍がいた。
その所の地頭よりの差配で栂井氏の娘をもらって、何の不自由もなく暮らしていた。
ある時、おなじ年頃の友達が四五人いて、折々は会っていた。
夜ばなしなどをしていたが、ふとその中のひとりの友がこう言った。
「大江山の洞穴は、今に至っても、入ればあやしい事がある、と言い伝えられている。ふしぎな事である。」
それを、彼の坂口なにがしが聞いて、
「それはおもしろい事を聞かせてもらった。
それがし近日に見て参ろう。」
と言った。
皆々、
「それは、いらぬ蛮勇である。絶対に行かない方が良い。」
と言ったので、その夜は、そのまま聞いておいた。
坂口が、つくづくと思ったのは、何ともふしぎなる事であるかなと。
こっそりと見て来ようと。
そして、女房にも外へ行くと偽って、大江山の洞穴におもむいた。
先づ洞の口を十間ばかり行く間は、殊の外せまかったが、その後次第次第に道も広くなり、およそ二町(一町チョウは60間ケン。二町は約218m)ばかり行くと思えば、十間弐拾間(ジュッケン、ジュウニケン:18m、36m)もの間を置いて石の燈台があった。
上からは、ただ水の雫がポタポタと落ちて薄暗く、冷や冷やした風が吹いて来た。
その臭いは、はなはだ生臭かった。
それを我慢して、更に四五町進んで行くと洞の内がかなり明るく、向こうから川音が聞こえてきた。
しばらく腰をかけて休んだ、そのかたわらに思いもよらぬ女のさしぐしが一つあった。
蒔絵が施されていたが、石の上にあった。
さしもの坂口もぞっとして、何とやら身の毛もよだち、それより帰ろうと思った。
何とも不思議なことであると、その櫛をふところにいれて帰ろうとした。
最前に来た時にはなかったが、あるいは笄(こうがい)または香箱などが落ちていた。
何となく見たことがある様に覚えて、ことごとく拾ってから戻って行った。
もうすこしで洞(ほら)の口へ出るかと思う頃に、今切ったと見える女の首が、道の真中にあった。
よくよく見れは我が女房の首であった。
坂口は大いに驚きながら、仕方なくこれも持って、我が家に帰った。
表より家の内を見れば、女房は、いつもの様に針仕事をしていた。
それで、手に下げた首を見れば、大きな自然生(じねんじょ)の山の芋であった。
洞窟での出来事を女房に語って、その櫛などを見せれば、女房の長持に入れておいた手道具であった。
最前の友だちを呼び集め、始終を語れば、皆皆きもをつぶした。
この坂口は、後に京都に来て住んだ。
そして、元文(1736から1741年)の始めに亡くなった。
わたしは、坂口から直接に、この話を聞いた。
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