狸の易者
これは、ごく最近の寛政年間(1789年から1801)の頃のことである。
江戸銀座二丁目の西側に、狸の易者というものがいた。
名は何といったかは、忘れた。
この者は、いささか学問があって、かって話をしたときは、大変面白かった。
大変な奇人であって、朝夕の行動も、普通の人とは、大いに異なる所があった。
常に狸を好んで、多く家に飼っておき、朝夕、狸を愛するのは、世の婦女子などが、猫を愛るのと同じ様であった。
寝室には狸の軸をかけ、壁には狸の絵をここかしこに貼り付け、夏の浴衣に狸の模様を染め、冬は狸の皮衣を身にまとていた。
占いの、小看板にも狸を絵を描いていた。
そういう事で、世人は、彼を狸の易者と呼んでいた。
「百家奇行伝」(古事類苑 動物7)より
訳者注:これは、怪談ではなく、奇談ですね。
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